自分が学生だった時に受けたかった授業・・・
自分の子供に通わせたい教室・・・
頭の中にある理想を追い求めながら、
教室の環境や指導メソッドを改善しています。
教育熱心な塾長さんなら、みなそうでしょう。
それでは逆に、
こんな指導は嫌だ!
こんな教室は嫌だ!
というのを挙げたらどうなるでしょう?
それが、意外と笑えないんですよ。
こんな授業は受けたくない
私が生徒なら、こんな塾には通いたくありません。
もちろん、自分の子供も通わせたくありません。
- 先生がずーっと隣にいる ・・・集中できない
- 先生が先に答えを言ってしまう ・・・台無しです
- 説明が長い ・・・時間の無駄、眠くなる
- 塾指定の教材しか見てもらえない ・・・テスト対策や模試対策で困る
- 聴いて終わり ・・・自分でできるか確信が持てない
自分の頭では何も考えない「受け身」の子になってしまいそうです。
ところが、ものは言いようです。
上の指導に対して、順にキャッチコピーを作ってみましょう。
- 1:1の完全個別指導!
- 分かり易くて丁寧な説明!
- 熱血講義!
- オリジナル教材と綿密なカリキュラム!
- カリスマの白熱授業!
よくある謳い文句です。
いろいろな塾のチラシを見ていると、だんだんワケが分からなくなって来ます。
はたして、塾業界が作り出している謳い文句や塾用語が、
あたかも塾の価値を測る物差しかのように勘違いされてはいないでしょうか。
もちろん、本当に良い1:1指導があるでしょうし、生徒にひらめきを与えるような白熱授業もあるでしょう。
つまり、言葉だけじゃ分からないという事です。
ここで重要なことは、
塾のチラシで作り出された言葉を鵜呑みにすると
「変な物差し」
ができてしまう危険性です。
私も他塾のチラシを参考にしようと魔がさすことがあります。
見せ方は重要です。
ただ、それで目立つのは大手の塾だけでしょう。
そういう時は、ふと、頭を横に振って、我に返るようにしています。
本当にこれらは指導の本質なのでしょうか?
勉強とは「できない」を「できる」に変えること
この勉強の「原理原則」に従えば、
授業の終わりに生徒自身が「できた!」と実感していること
が理想となるでしょう。
そして、生徒本人が「できた!」を確信するのは、生徒自身が独力でやり抜いた時だけです。
講師がいくら熱心に分かり易く説明したとしても「分かった!」だけでは意味がありません。
ですから、
いかに生徒自身に解かせたか、解けるように導いて解ききらせたか
が良い指導ということになります。
そして、
「できない」から「できる」への変化 = 生徒自身の脳内の変化
です。
講師や保護者の変化ではありません。
このように、原理原則に立ち返って考えると、何が本当によい指導で、どんが塾が本当に良いのかが見えて来るでしょう。
教室をのぞいた時に、どのような光景になっているか?
生徒が座っていて、講師が汗水たらして一生懸命、ずーと説明している。
一見、熱心な指導に見えます。
しかし、それが本当に「生徒にとって」正しい指導なのでしょうか?
私が理想とする教室のイメージはこうです。
- 生徒自身がカリカリ演習に取り組み、頭をカッカと熱くしている。
- そこかしこで講師が生徒にヒントを与えたり、ポイントを確認する質問をしたりしている。
- 勉強の会話だけが聞こえてくる。
- 自習机では、生徒同士で教え合ったり、互いの理解度を確認しあったりしている。
- 休み時間は一転してリラックス。和気あいあいとしながらも、休まずに演習を続けている生徒の邪魔はしないよう、気を遣うことも忘れない。
主役は生徒。良くなるのは生徒の頭。
主役は講師ではありませんし、良くなるのは講師の話術でもありません。
それらはあくまで手段であり、代替可能で変化するものにすぎません。
講師研修やメソッドの改善などは、やって当たり前。
全て「水面下」「縁の下」なのです。
こういう価値観や理想をめざして、ヒーローズ植田一本松校と赤池校の指導を、日々、改善しています。
逆に、これを良いと思わない方は、来ていただいても伸びないでしょう。
それはそうと、
ありがちな塾のうたい文句の逆をいった方が、むしろ理想の指導になるのかも。
もしもそうだとしたら、笑えないですよね。
結局のところ、塾はカタログショッピングのように選ぶことは難しいでしょう。
実際に行ってみて、教室長と話をしたり、体験してみたりした方が、良いと思います。
その上で、もう一度チラシやネットを眺めてみてはいかがでしょうか。