プログラムのエラーと問いかけ

塾長です。昨晩は月、土星、木星が近かったみたいですね。

さて、学習塾でもプログラミング教室でも、塾長が戦わなければならない相手がいます。
この悪魔を倒さなければ、生徒の能力が伸びていきません。なかなかの強敵です。
その相手とは、

間違え = 悪い

というマイナスイメージです。
子どもの勉強に限らず、日本の成長を止めている諸悪の根源だと塾長は思っています。
ほんと、どうにかしたい!

ダメ出しから入るのは、日本人の悪いクセです。

ラグビー日本代表も克服した

スポーツ心理学。

ラグビー日本代表チームの練習に取り入れられたことで有名ですね。
2019年のワールドカップではベスト8という歴史をつくり変えました。

メンタルコーチを務めた荒木香織さんの特番が先日やってました。

それまでは、コーチが指導に入ると、選手が

「すみません」

と答えていたそうです。
コーチは成長のチャンスだと思って声をかけるが、選手はダメ出しだと思って謝ってしまう。
この雰囲気を最初に改善しようと思ったそうです。

  • 間違えを成長の出発点とする文化
  • 間違えを失敗として叱る文化

この違いは大きいですね。
世界トップに仲間入りするためには、努力だけでは足りなかったわけです。

スポーツ心理学は、海外から日本に持ち込まれた学問です。
日本のスポーツ界にも、今やなくてはならないものです。

失敗をどうとらえるか

これはとても示唆に富む話だと塾長は思います。

学習塾でも学校でも同じ

例えば、このへんとか

例えば、このへんとか

高濱先生も、藤原先生も、どちらも学校の教育現場と民間の両方に関わってきた人たちです。

プログラミングは失敗から学べる!だからオモシロイ!!

教室には、子どもたちが目を輝かせてプログラミングに通っています。
その最大の理由は、

間違ってもディスられない勉強だから!

だと思います。
いえ、むしろ

  • たくさん間違えた方が良い!
  • どんどん失敗しなさい!

こんな勉強です。
なかなか今までは無かった教育でしょう。

しかし子供はそういう環境に飢えています。

画像処理のやり方やエクセルの使い方なども、ちょっとやって見せれば、あとは自分でやりだします。

もちろん見よう見まねですから、すぐに分からなくなったり、失敗したりします。

でも、そんな「小さなこと」は気にしない。

使いたい、実現させたい、という興味の方が強いんですよね。

そして間もなく、できるようになってしまいます。

座標も三角関数も、使い方から教えてしまう方が速いです。

新しい教育が全く理解できない大人たち

一方で、プログラミング教室へ見学に来られても、どうしても古い勉強や古い常識にこだわってしまう方がいらっしゃいます。

体験授業のとき、私は見学している保護者様に、

「間違えて試行錯誤するのが大切ですから、決して横から正解を教えたり、最短の手順を教えたりしないでください。」

ということをお願いします。
しかし、それでも中には、

「ああ、そうじゃない、ちがうでしょ。そこが2じゃなくて、隣が2でしょ!」
「隣の子はもう終わってるよ。もっと速く、がんばって!」

こんなふうに口を出してしまう方が出て来ます。
でも、ここまでは普通です。
僕もそうですが、ずっと古い教育を受けてきたのですから。

「お母さん、ダメですよ。お子様が自分で発見していきますから、それを見守っていてください。」

それで「はっ」と気づいて下さる方がほとんどです。
しかし、中には聞く耳を持たない方もいます。

お子様が試行錯誤している過程には一切目もくれず、スマホの画面とにらめっこ。
たまにお子様の様子を見たと思ったら、違うだの遅いだの、ダメ出しばかり。
そういう方に限って、

宿題は出るのですか?
テストはありますか?
隣の子より遅かったので才能が無いんですかね。
・・・

日本再興への道のりは、なかなか険しそうです。

新しい開発よりミスの修正の方が速く技術が身につく!?

塾長がプログラマーだった若かりし頃の思い出です。

当時の私に与えられた仕事といえば「バグ取り」という作業ばかりでした。
他人が作ったプログラムの不具合を、来る日も来る日も修正していくのです。

本当は、新しいソフトウェアの開発がしたかったのに・・・

ちょっと仕事が嫌になってきました。
それで上司に相談しました。

意外にも、こう言われました。

「技術力が速く身につくのは、新規の開発よりも不具合を修正する方だよ。」

これは今から振り返っても、確かにそうでした。

つまり、失敗をたくさん見て経験した方が、成長が速いのです。

成功事例よりも、失敗事例の方が勉強になるんですよね。

間違えを隠して出発点にすら立てない子供たち

私たちはテストで×を付けられると、それがダメなことだと思ってしまいますよね。
なぜなら×が着くと成績が下がるからです。

本当は×を修正する時点からが初めて「勉強」になるのです。

しかし、その「本当の勉強」をさせてはくれません。

テストの結果で成績が判断されてしまうのであれば、わざわざテストを見直しをする理由がありません。
それ以前に、テストで悪い点数を取りようものなら、

ガミガミ
イライラ

こういう大人の姿を見たら、そりゃ見直しや復習どころではありません。

どうごまかすか。
何を言い訳にするか。
誰のせいにするか。

そんなことばかり考えるお子さんになってしまいます。
塾というのをやっていると、そうなってしまったお子さんを多く見てきました。

現に、悪い点数を取ったら成績が下がってしまうのですから、仕方がありません。
しかも受験では内申点となって不条理に付きまとうのですから、仕方がありません。
そういう教育行政の仕組みでした。

仕組みがそうだったのですから、そりゃ誰だってそうなります。
そういう歪んだ価値観になるように、育てられてきました。

間違ったら成長できる!

日本でこれをちゃんと自覚できている子供たちは何割でしょうか?

私たち大人が古い価値観を断ち切れるか否か。

子どもたちの未来は、これにかかっていると思います。

未来ではなく今、すでに時代が変わっている

次のような古い教育を日本はいつまで続けるのでしょうか?

テストの結果を将来の評価まで引きずってしまう。
だからテストには後がない。

このような評価制度では、人は学ぶようにはなりません。

今はどういう時代!?

ベビーブームの時代で、なおかつコンピューターが未発達だった時代は、このような「落とす」ための評価システムで回っていたのかもしれません。
しかし、今の時代はこうです。

  • 少子化で限られた人材をちゃんと教育すべき時代
  • 定員割れで全員が進学できる時代
  • 集合知で知恵を出し合う時代
  • 速く正確な作業はコンピューターがやる時代
  • グローバル化や多様化で、社会問題が複雑化する時代
  • 答えのない問題にチャレンジしていく時代

貴重な人材を「落とす」なんてしていたら、どんどん人手不足になっちゃいます。

貴重な人材を、わざわざ人工知能と戦わせて消耗させて良いのでしょうか?

教科書の全てをやる必要がなくなる

「学校で勉強したことなんて、仕事に役立たない。」

そう言うのであれば、

なぜ教科書を丸暗記させるようなテストをするのでしょう?
なぜ全単元を漏れなく履修させる必要があるのでしょう?

例えば歴史。

ある生徒は江戸時代に詳しいけど他の時代はよく知らない。
ある生徒は幕末に詳しいけど、他の時代はよく知らない。
ある生徒は古い地名に詳しいけど、歴史の用語は苦手。

それでOKです。

「日本全体の集合知」として「日本の歴史をきちんと語ることができる社会」であればよいのです。

それではテストができないって?

いや、テストくらいできますよ。
間違ったら、そこからが勉強なのですから。
どんどんテストで間違えればよいのです。

それでは成績がつけられないって?

いや、成績なんてつけてどうするんですか。
どうせ入試なんてしなくても、必ずどこかには進学できるのですから。
むしろ「ぜひ来てください」と言われるようになりますよ。

人が学んで知恵を出すのが大切なのであって、人を落とすのが大切なのではないですから。

古い価値観でITSを間違って使ったら日本は沈没する

政府が進めている行政のITS化やSociety5.0構想。
例えばビッグデータをちゃんと活用すれば、

× 成績を付ける

という概念は無くなって、

○ 学習のログを付ける

という概念に代わるでしょう。
ただし、こうした新しい取り組みも活用を間違えれば台無しです。
その活用として正しいのはどちらでしょうか。

  •  × 過去の学習状況から成績を評価する
  •  ○ これから学ぶ/活躍するために使う

こういう考え方。
まだ難しいのでしょうか。

これができる大人を、どれくらい増やしたら日本は再興できるのでしょうか。

そろそろタイムリミットだと思うのですけれど。

進学は推薦で行け!

残念ながら、大学受験や高校受験において、一般受験の出題傾向は、しばらく古い基準のままです。

教育改革には長い時間とたくさんの労力や予算を使います。
ですから教育改革はもともと時代の急な変化には追いつけません。

現に、国際バカロレアの教育方針と比較しても日本の教育は事務処理型に偏り過ぎています。
この指摘は数十年前からありましたが一向に変わりません。

それでは、海外より高度な教育内容なのかと言えば、そうでもありません。
数学1つを例にとっても、人工知能や量子コンピューターに必要な単元はほとんど高校では習いません。
日本人の学生は経済観念に疎く、起業する発想もなく、政治にも関心が薄いです。

学問的にも社会的にも日本の教育が先進的であるとは言えないでしょう。

というわけで、時代に合った教育で突き進むなら、どうしても高校入試や大学入試が邪魔になります。
そこで、一般入試の評価基準や出題傾向に左右されにくい方法で進学するのが良いということになります。

そう、推薦入試です。

いちおう文部科学省は、推薦入試が学力低下にならないよう、大学側には厳格な審査を要求しています。
しかし「学力とは何か?」という定義は指定しておらず、また、それは時代によって激しく変化してきています。

国が定義できる学力は「読解力」だけ

逆に文部科学省にたいして「今年の学力の定義を送ってください!」と大学側から詰め寄られたら、文部科学省自身が困ってしまうでしょう。
実のところ文部科学省が定義できる学力は「読解力」だけです。

それ以外の専門分野は時代と供にニーズが変わり、それは民間が決めることだからです。

そのため読解力と小論文を書く力を鍛えればよいわけです。
しかも小論文を書くためには何かしらの分野において深い知識が必要です。

ですから読解力と小論文さえ厳格に審査しておけば、大学側も文部科学省から文句を言われません。
代わりに専門性について問えばよいのですから、大学に合う分野の学生を早くから発掘できて一石二鳥です。

集合知の時代なのですから、無理して全教科で偏差値が高い学生を入れるより、専門性があって論文を書ける人材を入れた方が良いに決まっています。

学生としても、全教科の偏差値を上げる、という呪縛から解放されます。
そうやって節約した時間と体力を、自分の極めたい分野にどんどん回して、競争力のある「何か」を手に入れてしまった方が良いでしょう。

これは部活動でも同じです。

たとえば大学進学では、部活で推薦が効くのは全国レベルだけです。
高校進学ならもう少し緩いですが、それでも県選抜メンバーくらいの実力が必要でしょう。

もしも部活で忙しいなら、自分がそのレベルに到達できるかどうかを冷静に判断して欲しいと思います。
そして、不可能であることが明らかなのであれば、すぐに戦う土俵を変えるべきです。

進路選択も試行錯誤してよい時代です。努力の方向性を間違えたら修正すればよいだけ。
初志貫徹が美徳だったのは過去の話です。

「間違えてもOK」が評価される!?

そして推薦入試の面接でも「間違えを前向きに対処できたか」が評価されます。

面接官は、受験者の欠点や失敗談を質問してきます。
悪いことばかり聞いてくるので、意地悪な質問だと思うかもしれませんね。

しかし、そうではありません。

答えのない問題にチャレンジしていく、そういう高等教育や研究をしているのが大学です。

ですから間違えたり失敗したりするのは当たりまえ。
間違えたり、失敗した後で、それをどうして来たか、なのです。

間違えを前向きにとらえ、分析し、次に活かしてきたのか。
試行錯誤の中から最適解を見つけるような経験をしてきたのかどうか。

ノーミスで研究成果が出て論文を書けた。
そんなラッキーな研究者はいません。
試行錯誤の上に研究があります。

面接官は、そういう事ができる学生なのかどうかを知りたいんです。

まとめ

「何でこんな勉強しなきゃいけなんだ!」
「部活が忙しくて勉強できない!」

本心からそう思うなら、努力する方向性を変えましょう。

ただし何をするにしても努力は必要です。

 


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