私は素直で真面目な生徒が大好きです。
でも、生意気で不真面目な生徒も好きなんです。
普通なら、前者の方が成績が伸びやすいと思われるでしょう。
ところが、実はそうとも限りません。
言われたことを言われた通りにやる。
小学校の先生に指導されたことを中学生になっても守り続ける。
こうした真面目で良い子だからこそ落とし穴にはまり易いのです。
まず、次のことにあてはまる生徒は要注意です。
Contents
真面目なのに成績が伸びない子の行動パターン
次の行動パターンに複数あてはまる場合は要注意です。
- 何を言っても「はい!」と早くハッキリ返事をする
- 問題集で間違えたら、正答を赤で丁寧に書き写す
- ノートの行間や余白がキレイ
- どんな時でも一字一字、丁寧にゆっくり書く
- できたことだけをアピールする
- やったことだけをアピールする
- 学校で習ってないことは教わりたくない
- 問題集に答えをきっちり書き込む
どれも「まじめで良い子」の典型ですね。
しかし何をもって「良い子」と判断されているのでしょうか。
逆に、本当に良い状態なんでしょうか?
おことわり
※障害のある子については、本論の範疇に含まれません。
※当塾では専門外になるため、ここでは障害については一切言及しておりません。
※また障害に言及する文章の中で、このブログを参照しないでください。
真面目な子はアドバイスがもらえない
先生「とにかく3回やれ。」
生徒「はい、とにかく3回やります!」
こういう生徒がいたとします。
先生に言われたことを、ちゃんと守るのですから、良い生徒です。
しかし、成績が上がったかどうかは分かりません。
仮に、答えや教科書を書き写すような取り組み方で、ただ3回やっただけなら、頭には入っていないでしょう。
勉強ではなく書き写す「作業」を3回やっただけだからです。
当然、テストで点が取れるはずありません。
反対に、
「そんなのできっこない!、ムリ、諦めた。」
という生徒がいたとします。
そのような、いかにも素直でない反応なら、どの教育者の目にも問題は明らかです。
すぐに指導を受ける羽目になるでしょう。
このように、まじめで良い子の場合、その内容や過程が悪くても目立ちません。
むしろ問題なしと思われていることすらあります。
だから、助言がもらいにくいのです。
ここで誤解されないように、再度言います。
私は真面目な子も大好きです。
だからこそ、伸び悩む姿を見て解決したいと思っています。
これは批判や批評ではありません。
ありがちな指導のミス
まず、このような問題を扱う時にありがちなミスを挙げておきます。
それは、生徒の「性格」や「やる気」を問題にしてしまうことです。
たとえば上の例、つまり、
問題集を3回やったけど頭に入っていなかった場合で言えば、
「やる気がなかったからだ。」
「返事だけで、真剣さが足りなかったからだ。」
「上の子に比べて、できない子なんだ。」
という推測や決めつけです。
「真面目だと思っていたのに、真面目じゃなかった。」
「真面目なのにできないのは、苦手だからだ。」
という勝手な評価をしてしまうことです。
これは生徒の人格否定や個性の否定につながります。
もちろん、そんな他意はないとしても、生徒からは警戒されてしまうでしょう。
そうなると指導どころではありません。
客観的な基準を共有する
性格分析をするのではなく、勉強の「定義」を明確にして生徒を導くのです。
ヒーローズ植田一本松校と赤池校では、その勉強の定義が明確です。
私のブログで何度も繰り返して書いてきました。
勉強とは「できない」を「できる」に変えること。
このように決めておけば、勉強の仕方のどこが悪かったのか、何を変えたらよかったのか、一緒に考えることができるでしょう。
漢字の「勉強」の例
漢字を「書けない」から「書ける」に変える勉強について考えてみましょう。
ある人は、10回ずつ書き取りして覚えることにました。
ところが実際には3回目ですでに覚えていたらどうでしょう。
4回目~10回目は、勉強ではなく、ただの作業だったわけです。
1回で覚えられる漢字だってあるかもしれません。
逆に、
1つ前に書いた漢字をチラチラ見ながら、一画ずつ書き写すように書き取りをしたとします。
「一画分をとなりに書き写す」だけなら記憶力すら不要です。
何回かいても、ほとんど漢字は覚えられないでしょう。
どちらにせよ、練習した漢字が「書ける」のかどうかは確信が持てません。
練習しただけの時点では「たぶん覚えたと思う」にすぎません。
であれば「漢字テスト」を最初につくり、テストをやる前提で書き取り練習をするようにします。
テスト前提なら「書けるように覚える」つもりで練習するでしょう。
それが3回ずつなのか、10回なのかは、書きながら自分の感覚で決めればよいでしょう。
この漢字は1回、この漢字は7回、など時によってバラバラになる方が、むしろ自然です。
そしてテストをします。
書けなかった漢字や不安のある漢字をピックアップします。
それらについて、またテストを作って、書き取りする、を繰り返します。
このような勉強の流れが、漢字練習の自然な改善でしょう。
ここでのポイントは「書けない」を「書ける」に変えるために、練習とテストを繰り返している、という点です。
勉強の仕方の基本
まとめましょう。
- 何をどの範囲で「できる」ようにしたいか決める(テスト範囲)
- 「できない」ことを把握する(テストする、問題を解いてみる)
- 「できない」を「できる」に変えるための暗記や練習をする
- 以降2と3を繰り返す
勉強の仕方が身についている生徒は、教科が何であれ、これらを自然にやります。
そういう生徒になることが、最終形態だと思います。
さて、このように、生徒自身の取り組みの1つ1つについて、
「できない」を「できる」に変える行動になっているか?
という基準で、みなを平等にチェックすればよいのです。
他人との比較は、ほとんど不要です。
スポーツのルールみたいなものです。
あるいは自然法則みたいなものです。
真面目な子も不真面目な子もどちらも良い生徒
「できない」を「できる」に変えること
これを積み重ねれば、必然的に能力が上がり、成績も上がります。
成績は正しい勉強法で正しい量をこなしているかに最も関係します。
真面目か否か、という性格は関係ありません。
だから私は、真面目な子も、不真面目な子も、好きなんです。
生徒の性格で私は生徒を差別しません。
性格は生徒本人のものです。
ぜひ大切にしてください。
時代が変わっても変わらないもの
必要な知識や公式、解法のテクニックは、教科書の単元ごとに、必要に応じて教えます。
教えることは単元ごとに色々です。
そして、時代が変われば教科書は変わり、単元が変わり、教える知識や解法も変わります。
これからはコンピューターを活用する前提の社会になります。
2020年に向けて教育改革が進んでいますが、おそらく10年後も教育改革をしているでしょう。
暗記系の問題は、定期テストからどんどん消えていきます。
今後10年間くらいは、問題解決型の思考力を養う教育が流行るでしょう。
更にその先は「どうしたいか」「そのために何をするか」という、発案型の教育へシフトするだろうと思います。
そうした激動の中で、必要な能力は変わります。
ですから、変化に応じて新しい能力を身に着けることが必要です。
「できない」を「できる」に変えるのが勉強。
教科書が変わっても、この考え方だけは、今後も変わらないでしょう。
教育の最終課題
国家が成熟し、人権保障や生活保護があるレベルまで保障され、なおかつ、知識が簡単に手に入る社会になってくると、「モチベーション格差」が社会問題になると言われています。
その兆候は日本でもすでに起こっています。
ですから、今の学生が社会人として活躍するころには、
「モチベーション格差」
の解決が、教育課題の1つになっているでしょう。
つまり、
「どうしたいか」を自分から発言できる人間に育てること
が大切になります。
これも「○○できる」という1つの能力、つまり勉強ですね。
ところで、
みなを一律に「真面目で良い子」にしてしまうような教育は、
「自分でどうしたいかを言えない子」にしてしまう危険性があります。
上に見たような未来を予期すれば、真面目を良しとする一律教育は、そろそろ壊していくべきかもしれません。
先生の言うことを素直に聞き入れるのは良いことですが、
だからといって、鵜呑みにする必要はありません。
なぜそうしなければならないか、掘り下げて、納得できなければ質問して確認するくらいのことは、積極的にしてみた方が良いでしょう。
もしも代替案があれば、それをやってみたいと具申してみるべきです。
不真面目な子は「どうしたい」を素直に発言します。
それを良い意味で育てることが大切です。
何はともあれ、「勉強の仕方」をチェックする時、私が生徒に問うのはただ1つです。
それは「勉強」ですか、「作業」ですか?