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// 条件1に該当しない場合の処理

文系

もしも先生が人工知能だったら、賢くなる?アホになる?

人工知能の奴隷になってしまった人のイラスト

塾長です。

少し前に教材の展覧会みたいなイベントに参加したことがあります。
最近は人工知能を活用した教材やシステムの提案が増えてきました。
人工知能のおかげで、学ぶ環境がどんどん恵まれていきます。

日本の子供たちも、どんどん優秀になっていけばよいのですが・・・

本当にそうなるのでしょうか?

人工知能は先生の代わりに成れるのか?という素朴な疑問

このままいけば、

学校や塾の先生が人工知能におき代わる!?

なんてことを、思わず想像してしまいます。
しかし一方で、

人工知能には先生の真似なんてできっこない!

という人もいます。

人工知能は人間よりも良い先生に成れるのか?

今回は、これについて考えてみましょう。

人工知能について考えると、実は人間のことがよくわかります。
もしかしたら「勉強法の本質」も見えてくるかもしれませんよ。

人工知能と人の違い

人工知能といえば新井紀子先生。
著書「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」や、人工知能の開発プロジェクト「東ロボくん」などで有名です。

けっこう賢い人工知能

その先生によれば、人工知能が大学受験に挑んだ場合、かなり優秀なところまで行けたそうです。
理系であれば偏差値65くらいまで。
文系でも中堅私立大学と言われるMARCH(※)レベルの大学入試まで突破できたようです。

  • 出題形式がハッキリしている
  • 解法パターンの知識で勝負できる

こうした問題が得意です。
ちなみに人工知能が挑んだのは過去問ですから、すべて教育改革前の出題傾向です。
いわゆる

「知識詰込み型」

の問題であれば、人工知能でも高い確率で正解することができました。

(※)MARCH ・・・ 明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学のイニシャルを繋げた呼び方のこと

「知識」に比べ幼稚な「知性」!?

その一方で、まったく苦手だったものがありました。

「読解力」

です。特に、

  • グラフや図が混在した文章
  • 色々な書き方が混在したような文章

これらの読解は、まったく内容をつかめていないようでした。
どうやら人工知能は、文章と資料の対応をとることができなかったようです。
要するに、

人工知能は文章の内容を理解していたワケではない!

という事でした。

知性ではなく計算マシン

つまり今のところ、人工知能の正体とは、次のようなものです。

膨大な知識やデータから、確率・統計的に

「もっとも正解らしい回答」

を導き出す計算マシン

人工知能とはいえ、所詮は機械。
膨大な情報の重ね合わせを
「ひたすら計算」
しているだけです。

けっして考えているワケではありません。

人工知能に「主体性」はない

人工知能が人間のように、ものごとを理解しているワケでもありません。
ただし「理解している」ように「見せかける」ことは、かなりのレベルに来ています。

そこで、人工知能をもっと突き放してやりましょう。
「理解」のさらに1歩先にある知性。

自分から問題を設定する

これならばどうでしょう。
見せかけの理解の上にはできない芸当でしょう。
要するに、

主体的に行動できること

今のところ、これができるか否かが人と人工知能との違いなのかもしれません。

もちろん、人工知能の技術が進歩すれば、いずれは「主体的に見せかける行動」もできるようになるでしょう。
しかし当面の間は、まだまだ主体性が人間らしさと主張しても良いでしょう。

もしも人工知能が先生だったら?

そんな人工知能が、もしも先生になったらどうでしょうか?

苦手な所を分析して解説や類題を表示してくれる

上で見てきたように、人工知能は統計処理が得意です。
この能力は「教育の個別最適」には便利でしょう。

生徒が取り組んできた記録を分析して、生徒に合った説明や問題を提示する。

このような生徒一人ひとりに合った教材の取り組み方が実現できます。
学校や塾の勉強がそうなる日が近いのかもしれません。

計算ドリルや漢字ドリルなどは、既に多くのシステムが存在しています。

計算や漢字の問題は、類題や解法が明確なので人工知能の得意分野です。
この種の指導は、学習指導の中では初歩的ですから、なんとなくわかります。
やはり簡単な所から人工知能に置き換わっていきますね。

最近では英会話の発音もアドバイスしてくれるそうですよ。

ネイティブな発音を指導できる日本人はまだまだ貴重です。
それなのに人工知能がチェックしてくれるなんて。
これはスゴイですね。

人工知能が発達するにつれて、より複雑な教科や単元でも、学習が個別最適になっていくでしょう。

相談には応えられない

ただし、人工知能は会話や文脈を理解しているわけではありません。
そもそも感情や価値観というものを持たないので、ものごとの良しあしを判断できません。
ですから、

「AでもBでも良いけれど迷っている。どっちがいいかな?」

のような質問には何も答えることができません。
進路や何かの選択など、人が「迷う」部分について相談しても役に立ちません。

人工知能が対応できるのは、あくまでも次のようなことです。

  • 答えが1つに決まっているような演習問題の正解
  • 統計的に関連性が高いと思われる教材の表示

あまり過度な期待はしない方が良いでしょう。
便利な「道具」と割り切って、あくまでも「使いこなす」ことを考えた方がよさそうです。

生徒自身が考える機会を奪ってしまう可能性?

個別最適な勉強について、1つだけ心配なことがあります。

「便利」であることは「考えなくて済む」という事でもあります。。

自分の何が間違えで、何をしたらできるようになるのか?

これを自分で理解できるようになるのが勉強とも言えます。
学校で「習った知識」は仕事で使わないかもしれませんが「改善の知恵」はいつでも使います。
というか、社会に出れば「何ができるか」をコントロールするよりも「何ができないか」をコントロールする方が大切になります。

それを育むチャンスを、人工知能は奪ってしまうのかもしれません。

もちろん生徒がどうやっても苦手な分野では、改善の段階までやりたくてもできません。
そういう時はコンピューターのサポートが必要です。

コンピューターが人間の苦手分野をサポートしてくれる!

という考えには塾長はずっと前から大賛成です。
しかし、それは生徒が一定の努力をすることが前提です。

努力してもダメなものはサポートが必要

これが苦手の対処だと思います。
しかし何も努力しない内から、人工知能が提示する問題を、はい、はい・・・と処理していくだけなら、やっぱりそれは教育とは何か違うように思います。

  • 個別最適な勉強を導入する
  • 努力の基準をクリアする

この2つは両輪であるように思いますが、みなさんはどうお考えでしょうか。

もちろん努力の基準は人それぞれなのですが、それも人工知能が適切に設定してくれる日が来るのでしょうか。

人工知能に教われば本当に成績が上がるのか?

人工知能の導入で、教育の個別最適化が進んだとしましょう。
それだけ環境が便利になれば、もはや勉強に困る生徒なんていなくなりそうです・・・

さて、本当にそうでしょうか?
みなさんは、どう思われますか?

スマホでゲームに没頭する人は、そもそも人工知能で勉強しない?

この質問について、実はすでに答えが出ています。
現代の子供たちは、一昔前の子供たちよりも恵まれています。

  • 教科書が進化している
  • スマホやパソコンで何でも調べられる

さぁ、その便利になった環境を、当の子供たちは活用しているでしょうか?

教科書が進化しても、そもそもテスト前に教科書を読んでいる子供たちは、全体の半分もいません。
教科書を隅々まで頭に入れようとしている生徒の数は、相変わらず少ないままです。

スマホやパソコンで、何でも調べまくって勉強をどんどん進めている子供たちばかりでしょうか?

YouTubeやゲーム、SNSなど、およそ勉強に関係のないことに活用しまくっています。
むしろ勉強の邪魔ものになっているのではないでしょうか。

人工知能のような便利な環境を導入するとき、

「どう使いこなすか?」

を真剣に考えて実践していけるのは、残念ながら大人だけです。

逆に、それができるような子供であれば、すでに勉強ができていると思います。

「ドラえもん」が家に来ても、のび太くんのテストは0点のままでした。

「人工知能」が何でも答えてくれたとしても生徒の点数が変わるとは限らないでしょう。

人工知能のアイコンは押さずに、YouTubeやゲームのアイコンしか押さないかもしれないからです。

人工知能を使いこなす生徒だけが成績を伸ばす?

今度は逆に、

人工知能のおかげで全体的に学力は向上していく!

と仮定してみます。

実際、義務教育において、英語の環境はかなり改善されてきました。
塾長の世代に比べ、今の学生たちの方が、明らかに全体的に英語力が向上しているでしょう。
同じように、人工知能のおかげで全体的に学力そのものは向上するかもしれません。

しかし、そう仮定したとしても、やっぱり成績が上がるか否かは、また別問題です。

みんなが解けるようになった問題を、学校の先生はテストで出題しなくなります。
より解きにくい出題が増えるからです。

そうなれば、成績を付ける判断基準が変わります。

  • 人工知能の言いなりになって、その範囲だけで学習した人
  • 人工知能を使った学習を土台にして、応用や発展まで学習した人

結局のところ、人工知能を「使いこなして」基礎力を早く習得し、その先の訓練に行きついた人だけが成績を伸ばすようになります。

仮に人工知能のおかげで学力が向上したと仮定しても、評価の基準も一緒にスライドしてしまうため、やっぱり成績が伸びるわけではないということです。

能力は見につく。でも成績(相対評価)は変わらない。

まぁ、これはこれで教育行政としては成功なのかもしれません。

教育が変わってきた

人工知能やロボットの活躍を前提に、学校の教育が変わってきました。

教育改革です。

「頭が良い」の意味が変わった

かつて日本の学歴社会では、官僚になるため、国家試験に合格できるための学力が「優秀」の定義でした。
そして昔は高性能なコンピューターが無かったので、コンピューターのような人間が優秀という内容でした。

コンピューターのように、正解を早く正確に回答できる能力。
ルールを正確に覚えて守り、定型どおりに速く正確に行動できる能力。

これらが「頭が良い」の定義でした。

しかし高性能なコンピューターが当たり前になり、人工知能のような、もっと高度な処理まで簡単に利用できるようになりました。
もう人間自身がコンピューターになる必要はありません。

コンピューターにできることを身に着けても、価値が無くなってしまったのです。
かくして「頭が良い」の意味が次のように変わってきました。

  • 昔:  専門知識があり、事務処理能力が高い
  • 今:  答えのない問題の解決をはかれる

お子さんをコンピューターにしようとしていませんか?

それ、絶対にコンピューターには勝てない競争です。

人工知能の苦手分野に教育がシフト

教科を問わず「考えてみよう」「コンピューターで解いてみよう」「話し合ってみよう」みたいなページが教科書に増えてきました。

さらに、単純な暗記で解ける問題が、入試問題からどんどん姿を消してきています。
推薦入試の定員枠が増えて、論理的思考力や主体性が問われるようになってきました。

全体的に、人工知能が苦手とする次の領域に、教育の重点がシフトして来たからです。

  1. 読解力(理解する、解釈する、論理的に考える)
  2. 色々な種類の資料を読み解く力(他人の表現を理解する、科学的に考える)
  3. 自分の考えを表現して他人に伝える力
  4. 問題解決力(答えのない問題に対して最適解を出す)

これらのうち、1~2は既にマークセンス式のテストでも能力が測れるようになってきています。

3~4は学校ごとの個別試験や面接試験、あるいは体験型の試験などで測られることが多いです。プログラミング教育もこの領域です。

価値観で分かれる

ちなみに私立の学校では、6番目として

「教育理念や価値観を共有できること」

という所も見られます。
つまり、生徒だけではなく保護者の考え方も合否に影響してきます。

親子面接があるところや、願書に保護者の記入欄が多いところなどです。

偏差値の高い大学へ進学できる = 良い学校

という時代になります。
偏差値一辺倒の時代が終わりつつあります。
代わりに、

人間らしい教育 = 良い学校

という評価にシフトしてきます。
そうなれば当然のことですが、

学校の評価も人の感情に左右される

ようになります。
このような評価は、たいていは

口コミ
うわさ

になるからです。
こうなってくると、

価値観を共有できない人たちとは学べない

ということになります。

価値観が違う者同士は、お互いがお互いを肯定的に評価できないからです。
一緒にいるのは生徒にとっても学校にとっても、お互いに不幸です。

偏差値という無機的な評価で人が分けられることが無くなる代わりに、
価値観という有機的な評価で人がグループを形成していくことでしょう。

考えすぎですかね?

何が大事?

さて、

人工知能を利用して何をするか?

結局のところ使い方次第だと思います。

  • 考えて行動するように訓練する
  • 考えずに言われたことだけやる

せっかく人工知能で教育が便利に快適になったとしても、人工知能から指示された通りにしか勉強しないのであれば、考える力は見につきません。

自分の頭は自分の意思で動かすときにしか鍛えられません。

自ら考えずに反復行動だけで焼き付けられたような思考回路は、電卓の演算回路と同じです。
意思も価値観もなく、単純なパターン反応でしかありません。

いくら人工知能のテスト対策で点数が取れるようになったとしても、指示されないければ何もできない人間になってしまったら、それは賢くなったとは言えないでしょう。

  • 人工知能の指示通りにやって点数を上げる
  • ゲームにハマってスコアやレベルを上げる

この2つの区別がつかないような勉強は、やっても役には立たないでしょう。

人工知能も、学校のテストも、教育のための道具でしかありません。

人工知能は先生ではなく、道具です。

 


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文理選択「暗記だから文系」はウソ!? 文系・理系の決め方

文理選択

塾長です。

模擬試験の監督をしながらブログを書いています・・・

今回は高校生の文理選択について書きます。

文系とは?
理系とは?

について本質から解説します。

偏差値競争が緩くなり、キャリア志向が強まっています。
正しい進路指導をするために、ここで確かめておく必要があるでしょう。

「暗記だから文系」はウソ!?

これからの教育は「考える」「表現する」という能力が重要になってきますね。
教育改革で、いわゆる「暗記科目」というものが無くなっていきます。

確かに社会でも「思考力」や「情報を整理して読み解く力」を試す問題が増えてきました。
昔から、

文系科目と理系科目を分けるなんてナンセンスだ!

という主張はありましたが、入試の都合でそうも言ってられませんでした。
今後は教育改革の脱「知識の詰込み」で、いよいよ違ってくるというワケです。

この流れには塾長も賛成です。

これからはコンピューターが当たり前になる時代。
これからも知識は大切ですが、その詰込み先は人間ではなくコンピューターです。

文系と理系の違いとは?

とはいえ、文系科目と理系科目は、やっぱり違います。
そこであらためて考えてみましょう。

文系科目と理系科目の違いとは?

どちらにも暗記の要素があり、どちらにも思考の要素があります。

暗記か否かでないとしたら、何が違いなのでしょうか?

塾長の考え方を1つご紹介したいと思います。

  • 時代によって移り変わるもの → 文系科目
  • 時代によって変わらないもの → 理系科目

こんな感じで分けられると思います。

文系科目

文系科目は、人間がつくって来たものを学んだり探求したりする分野です。
人間がつくり、人間がこわし、人間が意味を与えてきたものの蓄積です。
ですから時代や政治体制の変化とともに教科書の内容が変わっていきます。

例えば塾長が中学生だったころの歴史では、「黄河文明」とか「竪穴式住居」とか「弥生式土器」などと教わりましたが、
今の生徒たちは「中国文明」とか「竪穴住居」とか「弥生土器」などと違う名前で教わっています。
もちろん小泉元首相や安倍元首相は教科書に載っていませんでした。
俵万智さんの詩は斬新で話題になりましたが、まだ国語の教科書には載っていませんでした。

理系科目

理系科目は、自然界の真理を学んだり探究したりする分野です。
自然界の営みは人間の存在に関わらず存在しますから、その法則は人間の行動や気持ちに関係ありません。
ですから人間社会がどう変わろうと教科書の内容は変わりません。

塾長の時代と比べても、ほとんど内容は一緒です。
もちろん単元の抜き差しや学年の入れ替えはありますが、個々の知識は同じです。

それどころか次の項目なんて4000年前のバビロニア数学(メソポタミア文明)から変わっていません。

  • 小3 60進数(時間の計算)
  • 小4 面積
  • 中1 方程式
  • 中2 連立方程式
  • 中3 二次方程式、2の平方根

小中学校で習うような数学や理科の知識は、何百年、何千年と変わらないものばかりです。
何か新しい発見があれば追加されますが、発見されたものが変わりにくいのが理系の特徴です。

文系・理系の適性はどう判断する!?

このように文系は人間のこと、理系は自然のことを学びます。
そして文系は人間次第で変わることを学び、理系は普遍的なことを学びます。

これは大きく違います。
例えば「真理」という言葉の意味が、文系と理系では全く違います。

文系の人が言う「真理」とは政治や権力で「公に認められていること」という意味ですが、
理系の人が言う「真理」とは「人や組織の意思とは無関係に成立すること」という意味です。

価値観で選ぶ

これだけ見方や考え方が違うのですから、やっぱり価値観に大きく左右されると思います。

文系か理系かは価値観で決めよう

と考えるのも1つの手です。
価値観が合わないものを学び続けるのは苦しいです。

直感的には、こんな感じです。

  • 人と人との駆け引きや人間関係がドロドロしたドラマや映画が好きだ → 文系
  • いちいち駆け引きや競争で非効率に消耗している意味が理解できない → 理系

まぁ歳とって来ると丸くなって、どちらもほどほどに好きになってきます。
しかし若いうちは尖ってますから、このような端的な判断ができると思います。

好きや得意で選ぶ

数学や理科が得意だ。

これは分かりやすい判断ですね。
たぶん「得意」というのには「好き」が含まれることもあるでしょう。

得意ではなくても好きであれば良いと思います。

進学後の長い期間を考えたら、嫌いなものをやり続けるのは苦痛です。
得意でなくても好きであれば続くでしょう。

苦手を避けるのはあり?

自分の能力を見定めるのは大切なことです。

苦手を克服するよりも、得意を伸ばした方が良いです。

ですから私は「あり」だと思います。
ただし、

得意なものが何もない

のであれば、上で書いたように好きか嫌いか、が大切です。

そもそも、ある程度の努力をしてみなければ、得意か苦手かが分かりません。
とりあえず好きか嫌いかで決めて、頑張ってみるのが良いでしょう。

社会に出れば「勝てる土俵」で勝負するのが大切です。
苦手なことは人に任せたり別の手段で解決します。

苦手を避けてもOKです。

勉強が嫌いな人の進路選択は?

勉強が嫌いなら進学しなければ良いのですが、それは昔の話。
理想とは裏腹に、日本では学歴で初任給が決まります。

大卒が当たり前になった今では、就職のことを考えて進学する人も多いでしょう。

であれば文系、理系という以前に「必要性」から進路を選択するしかありません。

  • 何かの資格を取るため。
  • 何かのキャリアを作るため。

昔からある「1文字学部」には進学しない方が良いでしょう。
理学部、工学部、文学部、法学部・・・などです。
学問に興味ない人が行っても何も報われないと思います。

勉強が嫌いな人が求めるのは実学です。

最近増えてきた、名前の長い学部を選んだ方が良いでしょう。
名前が長いので、想像しやすいです。

「国際」「グローバル」・・・
「人間」「コミュニケーション」・・・
「情報」「システム」・・・

となどいった言葉が組み合わさって学部名が長くなっています。

こういう所は何かしらの資格取得をバックアップしてくれます。

勉強が嫌いな人は、

どの学部に行ったら年収が上がりそうか

を考えて選ぶのが良いでしょう。
もちろん将来のことは誰にもわかりませんから、自分で選ぶことには変わりがありません。

まとめ

文系、理系の分け方を、従来の暗記型か否かではなく、学ぶことの性質から考えてみました。

AO入試など推薦型が主流になる中で、ますます「進学してからどうするか」が問われています。
それだけに、受験スタイルではなく学ぶことの中身で、ちゃんと進路を選択することが重要です。

 


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社会が得意な人に勉強の仕方を聞いてみたらすごかった件

5教科の教科書のイラスト

塾長です。

今日は「社会が苦手な人」に向けた記事を書きます。

社会が頭に入りません

塾長は中学生のとき、社会がもっとも苦手でした。いま思えば、色々な勘違いがあったからです。

正直に言って社会が好きではなかったです。テスト前になると、

「とにかく覚えることを最低限に絞りたい!」

という思いから「まとめノート」を作ったり「これだけ覚えれば」的な参考書を買ったりして、それだけを覚えるようにしていました。しかし全く頭に入らなかったです。

高校受験生になると、苦手などと言ってはいられません。自分なりに暗記を頑張りました。それでも5には届きませんでした。最高値が5×(ゴバツ)でした。4.5くらいの価値なんですかね。社会は高得点者が多かったので5が取りにくかったです。美術、音楽、技術は5が取れたのに、社会は最後まで取れなかったです。

塾長が社会を克服できたのは、大学受験の後半になってからでした。色々な遠回りをしたもんです。

(多くの人は、年齢とともに社会は頭に入りやすくなるようです。きっと知識が増えたり、視野が広がって興味を持てるようになるからでしょう。)

社会が得意な人に聞いてみた

ちょっと前に、ヒーローズの勉強会がありました。その帰りに、小出先生を車で駅まで送ることになりました。小出先生はヒーローズ西春校の塾長です。なんと早稲田大学の文系学部ご出身。

早稲田大学の文系ともなれば、社会の偏差値70後半~80台という世界です。きっと社会なんて最初から得意だったに違いありません。

そして、ふと、知りたくなりました。

いったい何をどのように勉強していたのだろうか?
そもそも私とは頭のつくりが違うのだろうか?

こりゃもう、聞くしかない!

そう思って、助手席の方へ質問をぶつけていったわけです。

私: 小出先生は、社会が得意でしたか?

小: ええ、まぁ、文系でしたから。

私:  社会の勉強の仕方って、どうしたらよいですか?

小: まぁ、そうですねぇ。
実は、よく聞かれるんですけど、何て答えたらよいか困ってしまうんですよね。

私: え、なんで困るんですか?

小: これと言って特別な何かを答えられるわけでもないですから。
どこを覚えればよいかとか、何が重要かとか、ポイントは何かとか聞かれても、
「全部」
としか答えようがないんです。
問題集や模試の問題を解いてみて、出題されたところをチェックしていくじゃないですか。そうすると結局のところ、教科書のどこからでも出題されているんですよ。だから何をどうに勉強したとしても、結局は
「教科書のすべてが大切」
という話になっちゃうんですよ。それなら最初から「全部が大切」って言ってもらった方が解りやすいと僕は思うんです。

私: な、なるほどぉ・・・。
確かに、理系に置き換えたら、それ、分かる気がします。
数学でも化学でも物理でも、結局のところ、
「自分で教科書や参考書を執筆できる!」
くらいに身に着いてないと、勉強したとは言えないですもんね。

小: 英文法とかでもそうですよね。

私: そうですね。

小: 社会だからと言って、何か特別な勉強があるという感覚は、僕にはあまりないです。
他の教科と同じで、教科書を隅々まで全て頭に入れれば良いというか。
逆に、教科書の中で知らないことが1つでもあると不安になりますよね。
それで、もっと細かく読み込むとか、そのベージに関連した問題を解いてみるとか。
何を勉強するかなんて、そうやって自然にやることが決まってくるじゃないですか。

私: 確かに。
そう言われると、アニメやポケモンの好きな生徒と同じかも。
めちゃくちゃキャラ設定が詳しいんですよね。
そして知らないことがあると友達から聞いたり、自分で調べたりして、まめにチェック。
それって勉強法と同じですよね。

小: ホントですよね。
本当は生徒だって、勉強の仕方が分かってるんじゃないかと思うんです。

私: 確かに!
どのような教科であろうと、いさぎよく最初から
「教科書のすべてが大切」
と受け入れてしまえば、自然に勉強の方法が決まってくるってことですね。
なるほど、なるほど。
確かに、言われてみればそうですね。

まとめ

ということで、社会の勉強方法はいたってシンプルでした。

「教科書のすべてを頭に入れると決める!」

そのように決めて徹底すれば、勉強の仕方は自動的に決まります。そのように自動的に決まってくる勉強法こそが、正しい勉強法というわけです。

極めた人の答えはシンプルですね。ズバッと一刀両断されたような凄さでした。

現場からは以上です。

あとがき

塾長は大学受験でも社会にてこずりました。理系の国公立大学を受験していたので、社会はセンター試験だけ必要でした。社会はできるだけ勉強したくないと思っていました。

現役の高校3年生では日本史を選択しました。
「日本史なら中学でやったし、センターはマーク試験だし、ある程度はカンでも行けるっしょ。」
みたいな甘い考えでした。日本史を選択した動機からして安直というか不純でした。
それで日本史の「一問一答」という問題集の1冊だけをやり込もうと決めたのですが、そもそも姿勢が後ろ向きだったせいか、いくらやっても頭に入らなかったです。
そしてセンター本番では全く点数が取れませんでした。

浪人してからは「倫理、政治・経済」に変更しました。
「公民ならば、文脈や理屈で内容を理解できそうだし、まだ理屈で覚えることが可能だろう」
と思ったからです。
一問一答のような丸暗記だけではダメだという反省から、少しは進化しました。

倫理、政治・経済を勉強してみると、日本史よりは興味を持つことができました。ちゃんと教科書を読むようになりました。(教科の好き嫌いにムラが出てくるのは仕方がないですね。)
そして良かったのは、ちゃんと深く理解しながら勉強する姿勢に変わったことでした。用語解説の厚い参考書(駿台の「倫理,政治・経済用語資料集」だったかな)を買ってきて、調べながら、納得しながら勉強するようになりました。

もちろん社会の勉強時間も読み込む参考書のページ数も大幅に増えてしまったのですが、むしろ、その方が楽に頭に入りました。
そしてセンター本番では目標点を取る事ができました。

結局のところ「これだけ」みたいな勉強はダメだということです。「全部」とか「深く」とかいう姿勢の勉強にしたほうが、むしろ楽に頭に入っていくものです。

この先、教育の方針がどんどん変わって、例えば、社会の試験が「教科書の持込可能」というような制度に変わったとしても、「全部」・「深く」という姿勢で勉強しておけば、対応できるのではないでしょうか。

 


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【塾長の独り言2】小学生や中学生にプログラミングさせても無意味!?という誤解がなぜ日本には根強いのか?

なぜプログラミング教育は誤解だらけ?

塾長です。

2020年度から実施されるプログラミング教育が目の前に迫ってきました。それなのに、今だに「そんなの意味あるの?」という疑問の声を聞くことがあります。もちろん多くは「誤解」からくるご意見です。今回はその誤解の正体について語ります。

解説動画の方が良い方は下のYouTubeでどうぞ。

【塾長の独り言2】小学生や中学生にプログラミングさせても無意味!?という誤解がなぜ日本には根強いのか?

(※)動画を撮った後で気付いたのですが、「黒歴史」と「ブラック企業」の2つの「黒」で話しがまとまっている気がするのは偶然です。たまたまで、他意はありません。何はともあれ、誤解が解けて日本のプログラミング教育が正しい形で盛り上がることを願います。

 

子供にプログラミングなんて習わせてどうするの?

最初に政府がプログラミング教育をうたったとき、賛同の声よりも、むしろ批判の声が高まりました。多くの人が誤解し、そして混乱したからです。私が思うに、その混乱の原因は2つあります。

日本人の誤解

  1. 日本ではプログラミング教育で失敗した黒歴史があるから
  2. 日本では「プログラミング」の意味が「コーディング」だから

1つ目は、高校数学にプログラミングを導入して失敗した「黒歴史」があったからです。
あの時は「フローチャート」と「BASIC」という特定の技術領域に偏ってしまったのが敗因です。実際、2014年度のセンター試験まで数学2BでBASICのプログラミングが出題されていました。センター試験の過去問集が、まるで人に見られたくない黒歴史のアルバムのようになっています。

2つ目は、日本では「プログラミング」の意味が、頭脳労働ではなく肉体労働の「コーディング」を意味しているからです。
日本では経験豊富でスキルの高い人が頭脳労働の「設計」を分担します。そして若手がその設計をただコンピューター語に翻訳することを「プログラミング」と呼んできました。要するに日本の多くの職場では「プログラマー」=「下っ端」なのです。
ところが海外でプログラマーと言えば、時にスティーブジョブスビルゲイツのように「世の中の仕組みを変えてしまった人」という意味まで含みます。

さて、海外視察で意識を高めた政府高官は、もちろん未来志向で意欲的な意味を込めて「プログラミング教育」と言ったつもりでした。しかし上記2つの背景を持つ日本社会では、その言葉はマイナスイメージでした。とても残念です。

日本のプログラマーは文系で、海外では理系!?

海外でプログラマーが世界の仕組みを変え続けてきたのには、日本とかなり違った事情があります。それは、日本のプログラマーが文系で、海外のプログラマーが理系だということです。

日本では理系の大学生の多くが公務員か研究職か工業系に進んでしまい、ソフトウェア産業にはあまり就職しませんでした。一部のパソコン好きな人くらいでした。信じられないかもしれませんが、2010年ころまで、多くの日本企業はプログラムの価値を低く見てきました。若手はその価値を理解していたかもしれません。しかし日本は年功序列。企業の上層部の人達は平成初期の感覚でプログラムを機械の付属品くらいにしか思っていませんでした。そのためプログラミングしている部署自体が、出世の見込めない部署にされていました。そんな状況のため、理系の技術者が多く育ちませんでした。そして才能のある人間は海外に行ってしまいました

実際、日本においてプログラマーの仕事の多くは、理系の知識を使いませんでした。日本のIT会社の仕事と言えば、ほとんどが事務作業を自動化するような開発です。そのような仕事が山ほどあって、それで飯が食っていけました。その種のプログラムは高度な数学や物理を使いません。算数しか使いません。いえ、本当は目に見えない所で、めちゃくちゃ高度な数学や物理学が使われているのですが、そういう肝心な機能は海外で発明されてしまっており、日本はそうした海外の技術を使ってプログラミングするだけです(※)。ですから文系の人でもプログラミングさえ勉強すればできるようになります。しかも仕事が多くあって、常に人材不足で残業だらけ。文系だろうが理系だろうが、多くの人がプログラマーになってきました。それが日本です。

(※)悲しいことにソフトウェア産業において日本は技術後進国です。
WindowsにMacOS、Linux・・・どれもアメリカ産です。インターネットやデーターベースの仕組みもアメリカ産です。人工知能や新しいプログラミング言語など、時代を切り開くソフトウェア技術のほとんどが海外製です。ビッグデータを抱えるGAFAは全てアメリカの企業です。日本人の多くは日本ではなくアメリカに納税している形になっています。
そして、塾長がマイクラミングを開発した時に参考にしたのは、英語のホームページと中国語のホームページだけです。スクラッチ3.0の仕組みをちゃんと解説している日本人は一人もいませんでした

日本のプログラミングはプラモデルみたいなものだった

たとえ話をします。

たとえば、プラモデルを組み立てるのに文系も理系も関係がありませんよね。必ず組み立て方を説明する図面や解説が着いてきます。その通りに組み立てれば、ちゃんと形が出来上がります。確かに作るためには一定の技量が必要で、時間もかかるし苦労もします。同時にチャレンジや楽しさもあります。色塗りなどで作り手の個性を出すこともできます。日本のプログラミングは、正に「プラモデルを組み立てる作業」のような感じでした。

しかし海外のプログラミングは、もっと根本的な開発を含んできました。

化学の専門知識を持った技術者がプラモデルに相応しいプラスチックそのものを創造しました。あるいは塗料を作りました。物理学や工学の専門家がプラスチックを綺麗に成型する機械を発明しました。数学を操る技術者が図面や解説を何倍に拡大・縮小して印刷しても滑らかに表示できる数式を作りました。ソフトウェア工学の専門家が、それらをデーターベースやソフトウェアに置き換えてパッケージ化し、製造方法そのものを商品にしました。

上の話しは、あくあまでもたとえ話です。

要するに、ほとんどの日本のプログラマーは、今まで発明の必要がないか、発明ができない立場や状況にいました。しかしプログラミングは安い作業ではありません。他の職業と同じで、むしろ世の中を良くする仕組みを創造する活動です。

色々な分野の専門知識が、色々な立場の人たちに広く利用できるようになる、そういう仕組みを創り出していく活動も「プログラミング」に含められます。また、そういう夢をぜひ持って欲しいと思います。

20世紀後半、確かに日本人の技術力は多くの分野で世界1位だったかもしれません。しかしコンピューターが発達してソフトウェアの重要性が高まるにつれ、日本の技術力はどんどん影を薄めてきました。過去の栄光に浸るには、僕らはまだ若すぎます!

早く目覚めなければいけません。日本人はプログラミングにおいても「世の中の仕組みを根本から変える発明」を目指さすべきです。そういう人が千人に1人、いや万人に1人でも出て来るような社会にしていく必要があると思います。

プログラムの基礎が国語や数学や物理!?

プログラミング教育よりも、まず読解力だ、算数・数学だ、という主張が根強いです。英語教育を強化する時にも同様の主張があります。読解力や算数・数学が大切なのはもちろんです。しかし、だからと言ってプログラミングや英語は後回しで良いとはなりません。むしろ読解力や算数・数学の技能を発揮してプログラミングして欲しいと思います。

それがどういう事かを考えてみましょう。

コンピューターを触らないプログラミング

今から25年くらい前、大学生の時。私は選択科目の中で「コンピューターアルゴリズム」を受講しました。大学生になったらプログラミングを勉強しようと決めていたからです。「アルゴリズム?」という疑問を抱きつつも、コンピューターと名の付く講義がそれしかなかったので、迷わず選択しました。ところが、最初の講義で取り組んだのは図形の問題でした。次の週も数学でした。最後は円周率を速く正確に求める数式の問題でした。結局、その講義の中ではコンピューターを1秒も使いませんでした。紙と鉛筆だけの世界でした・・・

アルゴリズムは「算法」と和訳されるみたいですね。そういえばコンピューターは計算機でした。同じ計算結果を得るために、どんな式を使うかで計算の速さが変わりますプログラミングする前に、より速くより正確に計算できる数式を考えること。それがアルゴリズムでした。ですから、残念ながら最後までコンピューターを使わなかったわけです。

仕事の早さも電気代もプログラマー次第!?

ただし学びは大きかったです。

  • プログラマーが数学や物理の公式を知っているか否か
  • 更にその公式を目的に応じてカスタマイズできるか否か

こうしたことで、計算の速さも計算結果の正確さも大きく変わってしまう、ということを理解できました。しかも電気代も時間も大きく変わってしまいます。同じ仕事をするのに、時には1万倍くらい効率が変わったりします。使うエネルギーが何桁も小さくて済みます。

もしも世界中のプログラマーがアルゴリズムを学べば、世界中のコンピューターが消費する電力が今よりもずっと減って、地球の温暖化さえ防げるのではないか、と思ったくらいです。

例えば、四捨五入をどう求めるか?

アルゴリズムしだいで計算量が変わってしまう簡単な例を出します。おそらく、よくある例題だと思います。

「与えられた小数を、小数第1位を四捨五入して整数の概数にしなさい。」

これを四捨五入の考え方どおりに、正直にプログラミングするなら、次のような6行以上の処理(プログラム)になるでしょう。

「整数部分」 に 「小数」の整数部分を代入しろ
「小数第1位の数」 に 「小数」の小数第1位を代入しろ
もしも 「少数第1位の数 」が4以下 ならば
「整数部分」を表示しろ
そうでなければ
(「整数部分」+1)を表示しろ

しかし、もっと簡単な方法があります。

「整数部分」に(「小数」+ 0.50 )の整数部分を代入しろ
「整数部分」を表示しろ

これなら、たったの2行です。工夫すれば1行にもできます。注目すべきは小数第一位について「四捨」と「五入」で場合分けする必要がないところです。コンピューターで遅い処理の1つが場合分けです。これが無いのは大きいですね。

これがアルゴリズムを考えるということです。そして本来はアルゴリズムも「プログラミング教育」に入ります。むしろアルゴリズムの方が大切です。

「目的」と「手段」を分けて考える発想を養う

上で見たように、コンピューターを使いこなすということは、目的と手段を分けて考えることに他なりません。

「四捨五入を求める」という目的の実現方法は何通りも考える事ができます。視野を広げるほど、いろいろな手段が思いつきます。
そして上の例題では、たまたま「小数第1位を」四捨五入する条件だったので「0.5を足す」という短い計算方法が選択できたわけです。

プログラミング教育では、次のような取り組みを体験させる狙いがあります。

  • 答えが1つに定まらないような問題にチャレンジする。
  • 試行錯誤で最適解を見つける。

難問に対して「無理だ」と即答しては何も生まれません。正解が1つという発想を捨て、今できる最大限の答えを見つける発想を変えれば、できることが生まれます。そのように視野を広げて、手段を何通りも並べて、何度も試しながら、最適解を導いていくこと大切なのです。

またそのために、国語、算数、理科、社会、英語や美術、技術などの素養が必要です。逆に、勉強したことを使おうとするから身に着きやすくなる、という側面も出てくるでしょう。

今こそ理系的なプログラミング教室が必須!

ですから「ただ図面を見ながら組み立てるだけ」みたいなプログラミング教室には、絶対にしたくありませんでした。
また、時代や流行りに依存するような専門知識を詰め込んでも、価値がないと思いました。

かつて高校生がBASICというプログラミング言語を習わされて、それでセンター試験も受験しました。しかし今やBASICを使う最先端の仕事など、ほとんどありません。高校までの学校教育において、特定のプログラミング言語の用語や文法を覚えさせても意味がないのです。時代に合わせた職業訓練は専門学校の仕事です。
第一、みんながプログラマーになるわけではありません

そして実際のところ、「組み立てるだけ」とか「職業訓練の簡易版」のような小中学生向けのプログラミング教室が多いです。私はそういうプログラミング教室を教育とは見なしていません。もちろん趣味と割り切れば良いですが、私は少なくとも自分の子供にそれをやらせようとは思いません。

そうではなく、もっと根本的に、生徒たちの血肉になるような活動にしたいと思いました。
理数系の頭脳や論理的な思考力を、ちゃんと伸ばす活動にしたいと思いました。

知らないうちに、高度な数学的なセンスや図形のセンスが身に着いている。
知らないうちに、創造する喜びが体験できている。

そんなプログラミング教室にすべきだと思いました。

だから、もう自分でプログラミング教室を作るしかなかったのです。

マイクラミング

本来のプログラミング教育は、偏った専門知識を覚えさせたり、特定の技能を訓練するものではなく、子供たちが問題に立ち向かう基礎力を育てるものです。

マイクラミング」は、そんなプログラミング教室になっています。そうなるように教育改革後の学習指導要領をにらめっこしながら作りました。子供たちの頭を良くするために塾長が自ら開発!しました。

そして、テキストは本厚木校の髙橋先生にお願いして、小学生にも親しみやすい構成にしてもらいました。「プロボン」というキャラクターも生まれました。ありがとうございます。

生徒たちは、パソコンやプログラミングの専門用語なんて、ほとんど覚えません。いち早く課題を解決することやマインクラフトで建築を「創造」することに没頭できるようになっています。試行錯誤が大切なのであって、専門知識の暗記をしたいわけではないからです。

それでいながら、小学1年生がマイナスの数を理解し、計算もできるようになります。それどころか、高校2年生の空間ベクトルで習うはずのxyz座標を、小学生が理解して、使いこなしています。そのような数学の知識を活用してプログラミングを楽しんでいます。
そして、マインクラフトの世界に多くの魔法をもたらしています。

小学1年生でも取り組めるジュニアコースから、三角関数やデータ処理を扱うハイコースまで用意しました。実際ヒーローズ植田一本松校プログラミング教室には、小学1年生から高校3年生まで広い層が在籍しています。

日本人の「プログラミング」に対する誤解がちゃんと解けて、正しいプログラミング教育が、もっともっと盛り上がっていくことを願うばかりです。

まずは近隣の方から、ぜひお立ち寄りくださいませ。

 


名古屋市天白区の植田で塾を探すなら個別指導のヒーローズ!!

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数学も必須化!? ~学歴から学習歴へ~

早稲田大学の写真です

英語と数学がますます重要になっています。

高校入試で英語の難化が止まりません。
教育改革で、小、中、高、大学の英語のレベルを上げるという「国策」があるからです。

そして意外なのが「数学」ではないでしょうか?

今日は「数学の必須化」について考えます。

早稲田大学の政治経済学部は、2021年度の入試から数学1と数学Aを必須科目にします。
このニュースが6月に入ってから話題になっています。

たとえば、こんな記事です。

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