塾長です。
今日のタイトル。子供から大人まで、みんなで共有したいことです。
とりあえず、この記事を見てください!
(ちなみに続編もあります。 新教育「めんどうな事はコンピューターにやらせよう」(2) )
子供が大人になる頃の世界。キンコン西野さんの説明が神!
コンビニの話しがめっちゃ解りやすい!
どうして教育改革が行われるのか。
どうしてプログラミング教育なのか。
この説明を見れば、もうだいたい理解できます。
× 正解をすぐに言える人
〇 ストーリーを生む人
たくさんの知識を頭に詰め込むことには価値がなくなります。
ネット検索や人工知能が便利なのに、わざわざそれに生身の人間が対抗するのは不毛です。
そういう時代です。
つまり、こんな価値観になるかもしれません。
クイズ番組が無くなる!?
クイズに素早く答える。
正解すれば勝ち抜ける。
優勝すれば豪華賞品。
そんな定番のクイズ番組は、これから無くなるのかもしれません。
10年後の人たちから見れば今のクイズ番組は、まるで古文です。
クイズ王の何が凄いのか、全く理解できないでしょう。
ネットで検索すれば済むようなことを、なぜ、わざわざ問題にするのか?
スマートスピーカに聞けば済むようなことを人間が答えたくらいで、なぜ騒ぐのか?
いったい何が「いとをかし」なのか、解説されなければ分からないでしょう。
暗記と思考を区別しない学習
みなさんは「いつの間にが勉強になっていた」という体験はありませんか?
塾長は、比例や反比例、平方根の計算がそうでした。
ちゃんと理解したのは、高校受験でちゃんと勉強した後です。
しかし必要に迫られたのは小学6年生のころでした。
小学6年生が平方根の計算
塾長は、小学生の頃から星の写真を撮ることにハマりました。
友達と田んぼの真ん中でカメラを構えて、目には見えない星々を写し取るのです。
よい写真を撮って、もっと色々な天体を見てみたい。
撮った写真を友達に見せたい。
そんなストーリーの中で、天体写真のノウハウが書かれた本を読むのが好きでした。
そして、カメラやレンズの設定を計算するために、比例や反比例の計算が必要でした。
望遠鏡の焦点距離からシャッタースピードを計算する公式には、平方根の計算が必要でした。
もちろん小学生だった私が平方根をちゃんと理解していたはずがありません。
しかし理解しなくても困ることはありませんでした。
公式は、本に載っているものを見ながら使えれば十分です。
平方根の計算は、電卓のルートボタンの使い方さえ知ってしまえば可能です。
高校生の姉に、電卓の使い方を教わったので大丈夫でした。
私にとって、比例も反比例も平方根も、理屈を理解するより先に、まず体験がありました。
数学は暗記科目か?
例えば、みなさんは数学を暗記だと思いますか、それとも、思考だと思いますか?
- 数学は考える科目だ
- 数学も結局は暗記科目だ
どちらだと思いますか?
人間の脳にはメモリもCPUもない
ところが、そもそも人間の脳みそは、覚えることと考えることの区別をしていません。
コンピューターは、
- 記憶 → メモリ(覚える装置)
- 演算 → CPU (考える装置)
というように、機能ごとに装置が分かれています。
一方、人間の脳は、そのような構造が見当たりません。
区別が無いのです。
ですから、覚えることと考えることは同時に起こります。
数学は考える科目ですが、同時に、暗記科目でもあります。
逆に、数学を暗記と思考に分離して学ぼうとすれば、むしろ効率が悪くなる可能性があります。
「ひたすら暗記」は苦行でしかない
このように覚えることと考えることは両方が同時に必要です。
知識が無ければ考えることはできません。
考えなければ知識を使いこなすことができません。
しかし、これまでは前者を重視し過ぎていたと言えます。
暗記が曖昧であることを、目くじらを立てて減点する試験でした。
だから暗記が完璧にできないと、次の段階に学習が進みません。
考える過程で、ちょっとでも参考書を見てしまったら0点と同じです。
このような受験競争で培ってきた日本の教育は、明らかに暗記に偏っていたと思います。
そこまで暗記に偏った学習は、脳の構造に逆らった不自然な行為でした。
それゆえ勉強は辛い苦行でした。
苦行はコンピューターが代行する
今やコンピューターやインターネットを誰でも使えます。
わざわざ人間が知識を大量かつ正確に暗記しておく必要がありません。
ほんのちょっと資料を確認するだけで考えが進むのであれば、見ればよいです。
何かの考えを進めるにあたって、その前提となる知識を全て正確に暗唱するまで、わざわざ待ってからでないと次の考えに進められないなんて、馬鹿げています。
不便ですし、そもそも見ながらでも知識を使ってしまった方が、覚えるのが早いです。
こうした不合理から日本の子供たちは、そろそろ解放されるべきでしょう。
コンピューターの利用を前提とした教育にどんどん変えましょう。
そうすれば、私たちはついに「暗記」という苦行から解放されるのです。
これからの勉強で大切になるのがストーリー
考える、使ってみる、応用してみる、ということを通して知識が身につきます。
また逆に、先に知識を得たから、考え方や使い方がより良くなることもあります。
それらが区別なく同時に起こります。
つまり、あらゆる学習が体験型になっていきます。
すると今度は、
- どんな体験をするか
- 誰と体験するか
- どこに共感して体験するか
といったストーリーが大切になります。
星の写真を撮って友達とワクワクしたい。
塾長は、そういうストーリーの中で、いつのまにか学習していたことが多くあったのだと思います。
これからの勉強が、みなそうになったら、とても楽しいと思います。
先生の役割が変わる
暗記が不要になるのは、生徒の学習に限った話ではありません。
先生や塾の講師にとっても同じです。
先生は間違えてもよい
これからの学校や塾の先生は、
- 何でも知っている必要がありません。
- 間違えてもかまいません。
というスタンスになります。
何でも知っていて間違えない
これはロボットやコンピューターに期待される役割です。
では、先生や講師の役割とは、いったい何なのでしょうか?
拡大する役割
それは次のような役割になると思います。
- 生徒によりよい体験を提案するコーディネーター
- 生徒の取り組みを横で支えるコーチ
- 生徒の体験を意味付けし、社会の常識と対応させるカウンセラー
今でも先生にはこのような役割があります。
それが、これから凄いスピードで拡大していくと思います。
縮小する役割
きっと、教科書を説明する役割が、どんどん減っていきます。
自分で説明しなくても、分かりやすい解説動画が見つけて流すだけです。
分かりにくい説明で生徒の時間を奪う方が、かえって悪いことです。
先生の誰もが説明がうまいとは限りません。
同じ説明が全ての生徒にとって分かりやすいとは限りません。
先生に求められることは、自分で説明することとは限りません。
その生徒にとって最適な説明を検索して提示してあげること、
その方がむしろ大切になるでしょう。
そうなれば、先生や講師は、授業ノートを準備する必要が無くなります。
だから、もっと新しい役割の方へ集中できるわけです。
これまで忙しすぎて、なかなかできなかったこと。
「本当の教育」
そう思うことをやればよいと思います。
プログラミング教室のあるべき姿とは
コンピューターを活用して、自分の苦手をカバーしつつ、人間らしい活動、自分らしいことに集中する。
これからの生徒に必要な、新しい能力とは、
- 理解よりも先に体験する!
- 苦行はコンピューターに任せる!
というものになります。
コンピューターは生徒たちが勉強を「体験」して「楽しむ」ために必要な道具です。
塾長がプログラミング教室をつくった、最も大きな理由がこれです。
だから他社製のプログラミング教室とは違います。
間違ったプログラミング教育
プログラミングは、決まった答えを速く正確に導くような学習ではありません。
つまり、次のようなプログラミング教室は、どれも間違っています。
×「テキストの通りにプログラミングしたら動いた」
×「テキストと違うプログラムを作ったら修正させられた」
×「模範解答を示されないと何も作れない」
このようなプログラミング教室にしてしまったら意味がありません。
ミッションにチャレンジする体験型の授業
生徒と共有するのは教科書の模範解答ではありません。
共有するのは「目的」(ミッション)」です。
その目的を達成するために、生徒たちは「こうしたい」「ああしたい」という要求を出してきます。
私は、それを実現するのに使えそうな命令や道具を、生徒たちに伝えるだけです。
使うのは生徒たちです。
作るのは生徒たちです。
でも、できたら一緒に喜びます。
みんな違うプログラミングをしますす。
マイクラの世界に現れる建築物が、生徒の個性によって違います。
でも、みんな共有した目的は達成しています。
プログラミング教室だからできる
英語、数学、国語、理科、社会・・・
これらの教科は、いつから体験型に変わるのでしょうか。
残念ながら、まだまだ変わるのに時間がかかるでしょう。
今後も辞書やスマホの持ち込みを禁止してテストが行われていくでしょう。
変わるのには時間がかかります。
しかしプログラミングなら、一足先に実践できます。
あとがき
苦手を回避して代替することも含めて実力では?
足が無ければ車いすや義足を使います。
それを社会が補助するのは、人権を守ることに等しいと思います。
では、学習障害については、どこまでがそうなのでしょうか。
学習の得手、不得手については、どこまでがそうなのでしょうか。
漢字を間違えたら、理科でも社会でもバツですか?
変換機能など代替手段を使えば済むのに。
クイズのような問題で成績をつけるのですか?
ほとんどの大人は忘れていて、必要なら調べるという手段で済ませているのに。
子供を消耗させるのが勉強ですか?
いつまで、そんな教育を続けるのでしょうか。
大人の世界では、そのような実践を誰もしていないのに。
何か苦手なことがあれば、それを回避する手段も与えたうえで、トータルで評価すべきです。
サポートされない6%の子供たち
日本では、生れてくる子供たちの約9%が、何らかの発達障害や学習障害を持っていると言われています。
そして、その9%の内の6%は、障害が軽微であるため小学校までは気が付きません。
小学校の勉強がまだ緩いからです。
生活に支障があるわけではないため、小児科の先生や保健所からは、特に何も指摘されません。
つまり、障害を認められて支援学級に入れる子供は、たったの3%だけです。
残りの6%の方は、問題なしとされてしまい、何の手当もされません。
これはクラスに1~2人の割合になります。
これが日本の教育の問題点です。
それゆえ、中学生になると、とたんに困ることになります。
中学のテストは1文字でも間違えたらバツになるような厳しさです。
そういう正確な暗記と記述が、一気に増えてしまうため、ついていけなくなるのです。
クラスに1~2人の生徒は、努力が足りないのではなく、障害が原因で勉強が遅れているのです。
コンピューターで教育の不平等を改善したい
もちろん、障害があろうと無かろうと、とっても良い子たちです。
だから、そういう子たちが本来の個性や良さを活かせるような、そういう道具が欲しいです。
コンピューターを使えるようになってくれたら、それが可能かもしれません。
- 計算の間違えが多い?
- 漢字が書けない?
- 歴史が覚えられない?
苦手なことがあっても、気にすることはありません。
得意なことも苦手なことも、人それぞれ。
みんな個性があって、良いじゃないですか。
ただ、困らないように、コンピューターに助けてもらう方法を考えましょう。
そういう教育に早くしてあげたいと思います。
塾長には息子が2人いますが、下の子には障害があります。
まだ小さいです。
この子の勉強は、どうしたらよいでしょうか。
コンピューターが助けになるのであれば、絶対に間に合わせなければなりません。
記事の続編
この記事には続編もあります。
新教育「めんどうな事はコンピューターにやらせよう」(2)
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