ネットやテレビで有名な人の中には、ギラギラした力強い目で、
「塾や予備校なんて行かなくても、勉強できましたよ。」
と言ってのける知識人がいます。
そういう時に、僕は思うんです。
「あー、いたいた、そういう天才っぽい人。」
僕は、けっこう勉強で苦労した方だと思います。
そして、そういう天才肌の友達に、勉強の仕方を聞いては、真似をして、大失敗をしてきました。
まったく参考にならなかったです!
塾で指導している時、面談の時、私がこういう話をすると、たいていの生徒はこうに言います。
「え、塾長は最初から勉強が得意だったんじゃないんですか?」
ってね。
じゃぁ、どうしたら良いか、というお話しです。
成績が良い子の勉強法は参考にならない
「まず、定期テストなら、学校から出されている課題を、
2回、3回と繰り返すことが基本だよ。
それが当たり前なんだけど、
その当たり前をする生徒が意外と少ないから、
それだけで平均点を超える場合が多いよね。」
まずは当たり前レベルのことを説明します。
勉強に王道はないけど、努力の定石はあります。
「でも先生、クラスで1、2番の友達に聞いたら、
1回しかやってない、って言われました。
繰り返す意味なんてないじゃん、って。」
ここにも天才の被害者がいました。
かつての自分のようです。
「あ、それはね、天才肌の子ね。
僕や君のような、普通の脳みその子は真似しちゃダメだよ。
もちろん、
『授業中のことはすべて授業中に覚える!』
という訓練すれば、できるようになるけど、
今はまだできないでしょ?」
「授業中のことを授業中だけで覚えるなんて無理です!」
「そうだよね。
でも毎日、そういう強い意識で授業を真剣に聞いていると、
だいたい半年くらいで、かなりできるようになる。
もちろん完ぺきとはいかないけど、
記憶の定着率が格段に上がるよ。」
「本当ですか?」
「まあね。
とにかく、そういうことができるようになるまでは、
2回、3回と繰り返して、頭に叩き込みなさい。」
ものには順序というのがある
平均点に届くか否か、あるいはそれ以下の点数しか取れない生徒にとって、1回やっただけで身につく友達は、さぞ輝いて見えるでしょう。
そうした天才肌の子が、生まれつきそうだったのか、
積み重ねてきたことが運よくマッチしてそうなったのか、
それは私には分かりません。
しかし、能力に応じた努力の仕方があるのは確かです。
「いや、僕が中学1年生のときに比べたら、
君らの順位の方がずっと良いよ。
僕は4回やったけど、君らほどはできなかった。
でも君らなら、3回くらいでOKじゃない?
だって、今、君らが手にしている問題集は、
当時の僕なら喉から手が出るほど欲しいと思うものだよ。」
中学生のとき、僕は塾に行けませんでした。
代わりに、親に頼んで、進研ゼミを半年だけ購読させてもらいました。
しかし、基礎力が無さ過ぎて、1枚も添削を出すことができませんでした。
高校生のとき、やっぱり進研ゼミとか、駿台の通信添削とか、Z会の通信添削とかをやりました。
やっぱり、できませんでした。
Z会の添削なんて、2日間徹夜して渾身の1枚を提出したのに、戻ってきたら10点くらいでした。
さすがに心がポッキリ折れましたね。
じゃぁ、高校で通知表が悪かったかといえば、そうでもありません。
苦労していただけあって、高校生の頃には「定期テストでは」点が取れるようになっていました。
でも模擬試験はサッパリでした。
ある一定以上の難易度になると、とたんに解けないのです。
浪人して予備校に行きました。
毎日、一番前の席に座り、講師の言ったことを全て飲み込むように聞きました。
でもサッパリだったので、講義のあとは、毎日、夜23時まで質問に並びました。
そういうことを半年くらい続けていました。
秋になって、出せずにため込んでいたZ会の添削に挑戦してみました。
すると、できるではありませんか!?
努力には、順序というものがあります。
それを知らない人の意見や勉強法は、まったく参考にならないので、注意してくださいね。
中には
「自分は勉強しなくても頭がいいんだぜ、ヘヘ」
という自慢話を遠回しに言っているだけかもしれませんよ。
本人の現実に合っているか!?
周囲の大人は、キラキラした自慢話しをするのではなくて、
その子が目の当たりにしている現実に沿った話を
ちゃんとしてあげるべきではないでしょうか。