ICT人材が100万人近く必要にる時代が到来します(*1)。
とうとう小学生のプログラミング教育が必須化されます(*2)。
それでも日本の教育改革は他国より6~14年も遅れています。
今でもプログラミング教育を疑う人がIT業界の中にすらいます。
やっぱり日本はおかしいのでしょうか?
今の日本、どうしてこうなった?
について、書きます!
(*1) 2016年6月20日 総務省 情報通信審議会情報通信制作部会の資料より
(*2) 2018年3月公示 文部科学省 小学生の新学習指導要領より
Contents
日本だけが「プログラミング」の意味がおかしい
日本では下っ端の作業という意味
組織でシステムを開発すると、
問題解決やシステムの設計は、頭の良い人やスキルの高い人が行います。
普通、その人たちはプログラムを書きません。
設計した結果をプログラムに書き直す作業は、若手がするからです。
設計の段階で、ほとんどの問題は技術的に解決されてしまうため、
プログラムを書く作業は、頭脳労働というよりは肉体労働に近いです。
そこで、プログラムを書く作業だけ、コンピューター言語に翻訳する作業だけのことを、特に「コーディング」と呼びます。
肉体労働に近いコーディングは、開発コストを抑えるために、人件費の安い海外へアウトソーシングすることもあります。
つまり、プログラミング言語を駆使するコーディング作業は、下っ端で給料の安い仕事なのです。
特に組織階層が厳格な日本では、大企業ほどその傾向が強いです。
こうした背景から、日本で「プログラマー」と言えば、IT業界の多くの人たちは「コーディングをする人」という意味で受け取ります。
つまり日本ではプログラマーは給料が安い仕事という意味になってしまうのです。
古くからIT業界で働いてきた人ほど、そういう意味でとらえます。
世界では成功者の肩書のひとつ
ところが世界はそうではありません。
世界では、コンピューターを使ってシステムを作ることそのものを「プログラミング」というのです。
ですから、WindowsのビルゲイツやiPhoneのスティーブ・ジョブス、Facebookのマーク・ザッカーバーグ、googleのラリー・ペイジたちはみな「天才プログラマー」と言われています。
理由は割愛しますが、とにかく、
「プログラミング」の意味が、世界と日本では天と地ほどの差がある!
というのがポイントです。
正しくは「プログラミング的思考」!?
「プログラミング」の意味が国内と海外で全く違うことから、予想以上に教育改革が混乱し、遅れを招いてしまいました。
これまで政府・官僚・民間を問わず、多くの要人が世界の科学教育(STEM/STEMA教育)やプログラミング教育を視察してきました。
視察団は帰国するたびに
「日本もプログラミング教育を加速すべき!」
と訴えるのですが、その都度、
「プログラマーの給与は安くなり続けていますよ。
海外にアウトソースする時代に、今さら学ぶ価値があるのですか?」
「そんなの学校で教わるもんじゃないよ。」
などと国内から水を差されてきました。
意味の受け取り方が違うばっかりに、プログラミング教育の真意が全く通じていませんでした。
興奮する政府や知識人に対して、業界や教育現場からの視線が冷ややかでした。
こんな感じで、あっという間に10年経ってしまいました。
そこで政府は、使う言葉を変えることにしました。
それが「ブログラミング的思考」という言葉です。
この言葉には「コンピューターを意図した通りに動かして目的の結果を得ること」という広い意味が与えられました。
やっぱりコンピューターを使いこなす教育は急務
世界はもっと早くから教育改革に動いています。
アメリカは国を挙げて1990年代から理数教育の強化を続けてきました。
そのような基礎があった上で、2006年にはブッシュ政権がSTEM教育を、2013年にはオバマ大統領がプログラミング教育の重要性を説きました。
イギリスではプログラミング教育を2013年度から必須化し、過去4年分の実績報告を既に出しています。
そして海外の多くの国々が、似たように動いています。
ご周知のとおり、日本はその間に「ゆとり教育」や「脱ゆとり」などで揺れていました。
さて海外でプログラミング教育を受けていた世代は、2020年には社会人になっています。
日本のプログラミング教育は、やっと2020年からスタートします。
1世代分の周回遅れ、完全に後手後手に回ってしまっています。
これがどれくらい危機的な状況なのか、察しが付く人も多いでしょう。
今の高校生や大学生は、社会に出たとたん、
既にコンピューターを使いこなせる海外の人材を
いきなり競争相手にすることになるのです。
まとめ
教育改革のニュースが浸透してきて、
小学生がプログラミング教室に通う姿が多くなりました。
しかし、今すぐにでもプログラミングを身に着けるべきなのは、
数年後に社会人になる高校生や大学生です。
世界より遅れた教育改革。
改革から取り残された世代を救うために、
日本は、もっと焦らなければなりません。
あとがき
「プログラミング」の意味が変わってしまう文化の違いとは何か?
について、その一例を書きたいと思います。
海外では実績も名もない新規事業へ投資家が積極的に投資します。
例えば大学へ行くと、投資家がキャンパス内をウロウロしています。
学生が面白いものを作っていると、そこに資金援助を行うのです。
多くは寄付で終わりますが、中には大ヒットする場合があります。
早く成功した人は、大学を中退してしまいますが、それは大した問題にはなりません。
中退者でも成功すれば名誉が与えられますし、大学の講師にだってなれます。
このような状況だと、組織とか経験年数などは関係ありません。
発想から開発、世間へのお披露目まで、すべて同じ人や組織がやってしまいます。
ですから海外で「プログラマー」といえば、コンピューターで成功した人という意味も含むのです。
日本の大学では、投資家がキャンパス内を出入りしている光景は見かけません。
むしろ学生の方が企業に合わせて一斉に就職活動をしています。
才能がいつ芽吹くのかではなく、就職活動の解禁日を基準にして行動しています。
若い人にチャンスを与える社会にするためには、
私たち年配が価値観を変えて既存の仕組み見直していかなければいけませんね。