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就職活動

山奥で日本語が通じなかった話からの「卒業生に贈る言葉」

卒業おめでとう

塾長です。

中学生のみんな、卒業おめでとう!
ちょっと遅れたけれど、高校生のみんなも卒業おめでとう!
小学生の卒業式は再来週だね。ちょっと早いけど、卒業おめでとう!

もしも教え子の高校3年生や大学4年生がこのブログを見てくれていたら、そんなキミたちにも、ご卒業おめでとうございます!

今回は「卒業生に贈る言葉」を書いてみたいと思います。

その前に、まず塾長がした「奇妙な体験」について聞いて欲しいと思います。

最後に話がまとまりますから、ちゃんと最後まで読んでくださいね。途中で世にも奇妙な物語的なことを書きますが、すべて実話です。

満天の星空を求めて熊野の山奥へ

私は星を見たり、星の写真を撮影したりするのが好きです。

ですから満天の星空を求めて、名古屋の都会からできるだけ遠くの山奥まで、ちょくちょく足を運びました。
今は仕事が忙しくて、なかなかそうもできません。しかし、ほんの十数年前までは、週末のたびに天体望遠鏡を車に積み込んで、よく遠出をしたものです。

今から16、7年くらい前だったでしょうか。熊野古道で有名な三重県南部や和歌山県の南部、奈良県の山間部のあたりに、何度か足を運んだことがありました。きっかけは、インターネットで見た

「熊野で見た星空がビックリするくらいにキレイ」

という記事でした。

行ってみると本当にきれいでした。
天の川を雲と見間違えるくらい、よく見えました。

それで私の中でも熊野が観測地ランキング第1位になったのです。それからしばらくの間、その方面へ一人旅をすることにハマリ込みました。望遠鏡とカメラと食料を車に載せて、車中泊の旅です。ちょうど季節も春でしたっけ。

熊野古道は今でこそ世界遺産に登録され、道路が広くなり道の駅やお店などが整備されて賑わっています。しかし当時はまだ登録の直前という時期で、開発が進む前でした。紀伊半島の南部ですから名古屋から距離が遠くて大変です。さらに当時は道路が細くてカーブも多く、運転も大変でした。それゆえ本州に残された貴重な秘境の1つでした。できることなら住んでみたいです。

最初の旅は三重県の南島町でした。あいにくその時は、望遠鏡を設置する良い場所が見つかりませんでした。海辺は港の夜でも街灯が明るく、風も強いです。山間部は開けた場所がありません。あちこちへ場所を探しているうちに夜が明けてしまい、ドライブで終わってしまったのでした。

2回目は三重県の古里町でした。南島町よりもさらに南へ足を延ばし、尾鷲市の手前まで頑張って車を走らせました。そこには海水浴場があり、海辺の近くに広い場所があったので望遠鏡を組み立てることができました。

そこで、ちょっと奇妙な体験をしました。奇妙な体験の第1弾です。

海辺で何かの儀式をする謎の集団

古里町に着くと、海水浴場の近くに、少し広い場所を見つけました。駐車場の南側(海の方面)には大きな防波堤がそびえ立っていて、南の空が一部見えません。しかし、その日は北の空を狙っていたので問題ありません。むしろ海からの風を防波堤が防いでくれて、ちょうど良いと思いました。そこで望遠鏡を組み立てることにしました。

ちょうど望遠鏡を組み立て終わったころ、あいにく北の空に少し雲がかかってきてしまいました。これでは天体写真の撮影ができません。星座早見盤を眺めながら雲が流れるまで少し待つことにしました。

しばらくすると、後ろの方から何人かの話し声が聞こえてきました。ふと振り返って見てみると、外国人数名と日本人数名の男女10人くらいの人たちが、小声でしゃべりながら近づいてきました。

「こんな夜中に、こんな場所で。いったいどこから来たのだろう?」

ちょっと怪しく思いましたが、きっと自分も相手からすれば怪しく見えるだろうと思って、気にしないことにしました。
彼らは私の存在に気を留める様子もなく、ただ静かに通り過ぎていきました。手には大きな懐中電灯を持っていました。そして防波堤の階段を上ると、ふたたび何かを喋り始め、そのまま防波堤を越えて、海の方まで行ってしまいました。

「え、こんな夜中に海?」

いったい何をしに行ったのでしょう。私はしきりに気になりだしました。

彼らの話し声が聞こえなくなるのを見計らうと、腰をかがめて、そっと防波堤の階段を上っていきました。階段を上り切ったあたりで立ち止まり、防波堤の陰からギリギリ海が見えるところまで頭をひょこっと出しました。

海の方角は南です。水平線の彼方に星が霞んで見えました。薄い雲が邪魔しているようです。いて座が昇ってくる時間のはずです。
そこから右手の方に目をやると、20mほど離れた海辺に、先ほどの集団の姿がありました。相変わらずおしゃべりをしながら海の方を眺めています。大きな懐中電灯で明るく照らしまくっているので遠くからでも見えました。

しばらくすると彼らは話を止め、静かになりました。すると輪になって祈り始めました。何かの儀式でしょうか。そのままじっと動きません。
何分か見ていましたが変化がありません。むしろ全く動かなくなってしまいました。死んでしまったのでしょうか。

見るのに飽きてしまったので、そのままそっと階段を下りて、望遠鏡の元に戻りました。

北の空が晴れていたので、写真の撮影を始めました。そこからは望遠鏡やカメラの操作に忙しくしていました。

しばらくすると、先ほどの集団が戻ってきました。相変わらずおしゃべりをしながら私の横を素通りして、何事もなかったかのように戻って行ってしまいました。

あれはいったい、何の儀式だったのでしょうか?

天の川との再会

あの集団が祈りを終えたということは、今なら誰も海にいません。南の夜空を気兼ねなく見ることができます。

私は南の空が晴れたのか、少し気になりました。いて座が昇ってくるとともに夏の天の川が見えるかもしれません。夏の天の川は色濃くきれいなのですが、いつも雨や曇りで、なかなか見ることができません。

ふたたび防波堤の階段を上ってみました。

南の空は相変わらずでした。いて座は見えてはいるのですが、スッキリと晴れていません。ボヤンと薄い雲が邪魔しています。

そのまま数分眺めていて、何だか変な気がしてきました。

「いや、ちょっと待てよ。さっき集団がいた時と比べて、いて座と雲が全く同じように動いている。そういえば雲の形も変わっていない。おかしい。普通は雲の動きの方が速いはず・・・まさか!」

それまで雲だと思っていたものが、実は天の川だったのです。あまりにも色濃く見えていたので、てっきり雲だと勘違いしていたのでした。

小学生の頃に赤城山の山頂で見た、感動するほどキレイな天の川。あれから街の明かりがどんどん増してしいきました。せっかっく自分で車の運転ができる年になったのに、もう満天の星空は見えません。

あの天の川をもう一度見てみたい。

そう思って色々な所に足を運んできました。はっきりとその姿を覚えていたつもりが、覚えていなかったのでしょうか。

いえ、本当は記憶の問題ではありません。なんとなく理由は分かっていました。大学受験やIT業務で視力がかなり落ちてしまいました。私の視力が落ちたせいで、見え方が変わってしまったのでしょう。

自分の目が衰えてきたことが、それでハッキリしてしまいました。

天の川との再会に感動すると同時に、色々な変化を少し寂しくも思ったのでした。それだけに、もっと写真をきれいに写してみたくなりました。

さらに秘境へ

それまでは金曜の夕方に出て、土曜日の昼くらいに帰宅するという忙しい車中泊でした。そのため2時間くらいしか天体写真を撮影する時間がありませんでした。

なぜ土日でゆっくり行かないのか。それは日曜日は彼女(今は妻です)とのデートがあったからです。それに今までの写真撮影は単なるテスト撮影だったからです。テスト撮影なので2時間でも撮影ができました。

しかし、3回目の遠征は気合いを入れました。新しい機材を買ったので、ちゃんと時間をかけて撮影したくなったのです。せっかくだから更に奥地へ向かおうと思いました。そこで今度は週末をフルに使い、土曜の朝早くから出発し、土曜の夕方には望遠鏡の設置を終え、一晩中フルに撮影することを目論みました。

肝心なのは写真撮影ができる場所です。インターネットで色々調べていた中で、玉置神社の駐車場が観測地にちょうど良いだろうと思いました。熊野本宮大社よりも、さらに山奥です。標高1000mという秘境っぷり。しかもアスファルトで舗装されていて視界が開けているという奇跡の場所でした。

朝早く起きてカーナビに目的地をセットすると、とにかく先を急ぎました。たしか、熊野本宮大社、湯の峰温泉、玉置神社というルートだったような気がします。

途中で立ち寄った神社や温泉についても色々と書きたいことはありますが、それはまた別の機会にします。とにかく予定通りに湯の峰温泉へ到着しました。

触らぬ神に祟りなし?

湯の峰温泉は、熊野本宮大社から1つ山を越えた所にあります。温泉が湧き出る川の両脇に旅館がいくつか立ち並ぶ、小じんまりとした集落です。

広い共同駐車場があり、安く入れる公衆浴場もありました。

駐車場の横にある旅館の一階が食堂になっていたので、そこで昆布うどんを注文していただきました。シンブルでしたが、もの凄くおいしかったので汁も全部飲んでしまいました。

うどんで汗をかいたところで公衆浴場に入りました。

「おや、お兄さんはドラゴンズファンかね?」

体を洗っていると、横にいたおじさんから声を掛けられました。私が使っていた中日ドラゴンズのタオルを見たようです。

・・・ヤバイ

本能的にそう思いました。ここは和歌山です。みんなタイガースのファンである可能性が高いです。下手なことは言えません。そもそも私は野球をほとんど見ません。

「あ、本当だ。ドラゴンズのタオルですね。私は野球のことはよく分かりませんが、名古屋では新聞屋さんがくれるんですよ。」

そう言って、とぼけました。いちおう本当のことです。

「あー、そういうことかい。名古屋からはるばると。それはお疲れ様です。」

「おじさんは野球が好きなんですか?」

「まぁね。うちはタイガース。このへんはみーんなタイガースのファンだね。」

どやら命拾いをしたようです。

旅の汗を流すことができてスッキリしました。

いよいよ観測地の玉置神社へ出発です。

神に呼ばれた人がたどり着ける聖地

熊野の地は不思議な所です。ここに来ると体が軽くなったように感じます。多少の無理をして旅をしても、なぜか疲れません。私だけでしょうか。

温泉で元気になった所で、玉置神社へ車を走らせました。

カーナビを見ると、川と道路と目的地しか表示がありません。ナビが無ければ絶対に行けないような奥地です。

うっそうとした森の中を、ただ細くて頼りない道路がぐにゃぐにゃと続きます。道路はコールタールで舗装されてはいますが、木の葉や細かい枝が少し降り積もっています。大木が立ち並ぶ森の中は昼間でも薄暗いです。

そんな深い森に道路がどんどん飲み込まれていくような錯覚を覚えます。それを気合いで吹き飛ばしながら何度もハンドルを握り直します。どんどん上って標高が高くなっていきます。途中で道が狭くなったり、横の崖が少し崩れているようなところもありました。さっきまでの元気がウソのようです。進めば進むほど、何だか心細くて不安になっていきます。

満天の星空が見える場所とは、それだけ人の文明が届いていないような山奥ということです。街灯なんてありません。この道を夜に走れと言われたら、怖くて自信がないです。

不安が最高潮になったころ、急に視界が開けました。どうやら駐車場にたどり着けたようです。他には誰もいません。広い駐車場に私だけです。

まだ明るいので玉置神社へ参拝することにしました。カメラを片手に車から降りると参道を歩き始めました。参道は砂利道で、右手からは湧水が染み出ていて、左手は絶壁でした。鳥居をくぐると、おおきな杉が立ち並ぶ森の中へ入っていきました。

奥まで来るとまた鳥居があって、そこから急な石段がありました。それを上ったところが本殿でした。

立派というか厳かという感じでした。とても質素な雰囲気で、森の中に溶け込んでいるような神社でした。石段はコケが蒸していて、もはや水平ではありません。きっと長い年月の間に少しずつ石と石の角度がズレたのでしょう。本殿や鳥居には塗料が塗られておらず、木材の質感そのままでした。これまたよい感じで古びていました。正にわびさびの世界でした。

神社に来ても誰もいませんでした。ポツンと一人でお参りをしました。樹齢3000年ともいわれる巨大な杉も参拝しました。大きな木がたくさんあって、そこら中に鳥居が立っています。大木それぞれが神様のようでした。

大きな自然の存在があって、それを崇めるための最低限だけ人の手が加わっている。そんな場所です。

ここには神様がいる。

まさにそう確信できるような雰囲気でした。

山が深いところでは、自分の存在がものすごく小さく感じられます。逆に自然からの圧力というものを感じます。運転を誤って崖から落ちたり、観測中にクマに襲われたり、大雨で横からの鉄砲水に遭遇したり、何かの拍子で孤立して遭難したり・・・ちょっとでも何かを間違えたら、すぐに命を落としてしまいます。山では人間よりも自然の方が圧倒的に強いのです。そういう緊張感が常にあります。

この自然から受ける圧力というものが神の存在の証だとすれば、それは確かに存在します。そういうものを感じられなくなったら人間社会は終わるのだろうと思います。

参拝して少し気持ちが落ち着いたので、駐車場へ戻りました。

相変わらずだーれもいません。この駐車場で望遠鏡を設置して、一晩を明かします。駐車場のどこに設置しようかと、ぐるぐる歩いて回りました。

するとブンブン虫が多いことに気付きました。標高1000mだから虫はいないだろうと思っていたのですが、意外でした。よりによって大きなアブです。駐車場のどこに行っても、2~3匹くらいブンブン飛んでいます。

なんでこんなに多いんだろう・・・

ちょっとシャレになりません。虫よけスプレーなんて持っていませんでした。駐車場の中央付近なら大丈夫かと思ったのですが、やっぱりいます。

どうしようかなぁ・・・

そう思っていたら、空がピカリと光り、続いてゴロゴロと雷鳴がとどろきました。ものすごい大音量でビビりました。どうやら夕立が来るようです。すぐにポツリポツリと降り始めました。

来るときに感じていた不安が、また頭によみがえって来ました。

土砂降りになったら山に閉じ込められてしまうのではないか・・・

虫のこともあるし、道路の状態の心配もあるし、私はすっかり心が折れてしまいました。

明るいうちに、雨が激しくなる前に、下山しよう。

そうに決心しました。幸い、まだ時間があります。他に観測できそうな場所を探そうと、しばらく車を走らせることにしました。

・・・数時間はさ迷ったでしょうか。串本の方まで足を延ばしましたが、霧が立ち込めてしまい観測どころではありません。結局、熊野本宮大社まで引き返して来ました。近くに広い駐車場があったので、そこを夜だけ使わせてもらうことにしました。

望遠鏡を組み立てて撮影を始めたのですが、近くの国道を大型のダンプカーが良く通りました。その振動で星の撮影が落ち着いてできませんでした。
極めつけに空が曇ってきてしまいました。日ごろの行いが悪いのでしょうか。

撮影を諦めて撤収しました。朝になってお店が開くと悪いです。湯の峰温泉の駐車場を思い出しました。そこで野宿をすることに決めました・・・

実はその後もう1回、熊野へ星の旅に出かけました。その時は花の窟神社、神倉神社、熊野三山の参拝はもちろん、竜神温泉、鶴姫公園(天体観測のメッカ的な地の1つ)をめぐる1000Km近くを走破した弾丸ツアーでした。

しかしそれを最後にしばらくは行かなくなってしまいました。もっと行きたかったのですが、さすがに遠すぎました。

猿田彦命の生まれ変わりと名乗る案内人

数年たって盆休みのこと。今度は姉夫婦と熊野三山を参拝する旅に出ました。

当時、姉夫婦は神社をめぐる旅にハマっていました。夫婦で伊勢神宮や熊野三山を詣でるために、中間地点の名古屋に寄っていくという話でした。

私がそんな姉に、熊野本宮大社や玉置神社へは2度ほど行ったことがあると言ったら驚かれました。それなら一緒に行こうということになったのでした。それで私は望遠鏡を持参で参加することにしました。

姉が言うには、当時、玉置神社へ2度も行ったことがあるのは凄いことらしいです。私は天体観測ができる秘境だと思って行ったのですが、実は熊野三山の奥の院だそうです。外の土地から来た人では、行こうと思ってもたどり着けないことが多く、昔から

「神様に呼ばれた人が行ける神社」

と言われているそうです。

私は神様に呼ばれたのでしょうか。いや、そんなんじゃないでしょう。アブや雷に追い立てられて下山した記憶しかありませんが。むしろ怒られたという感覚です。とはいえ、神様にご縁があるなんて言われたら、ちょっと嬉しいです。

姉は事前に地元の人とインターネットで知り合い、ボランティアの案内をお願いしていたようです。旅慣れているだけあって流石です。

現地に到着すると、案内をしてくれる地元のおじさんが出迎えてくれました。

地元を盛り上げるために都会から来た人たちを積極的に案内しているそうです。そして、自分は猿田彦の神の生まれ変わりだから、旅人を案内する運目にあるのだと、そういう自己紹介をしていただきました。来る途中、伊勢神宮を参拝した時に、近くの猿田彦神社も参拝してきました。そのことを話すと喜んでくれました。

日本語が通じなくて頭痛を覚える

そのおじさんの車の後を追いかけていく形で、聖地を巡礼していくことになりました。

ところが、そのおじさんが次にどこに行くのかという話を聞いても、何を言っているのかサッパリ分かりません。

最初は方言なのかと思いましたが、そういう次元ではないことが分かってきました。・・・そもそも日本語ではないです。いや、日本語です。日本語の単語を適当に並べてしゃべっている、という感じでした。

それなら外国人と話をするのと同じかもしれません。それで語順うんぬんよりも話の内容を理解しようと努めました。しかし、それも上手くいきません。そのおじさんが語気を強めたり、少し怒ったり、こちらの態度を無視したり、という態度と話の内容が、全く何一つかみ合わないのです。

その暗号のような言葉を聞き、ランダムにも見える表情を見ている内に、私は頭痛がしてきました。本当の頭痛です。

一方で姉はうまくコミュニケーションが取れていました。直観的にものごとを理解できるのでしょう。何をヒントに話の内容を掴んでいるのか分かりませんが言葉だけで理解することは早々に諦めているようでした。言葉以外の色々な感覚を使って、総合的に話をしていたのかもしれません。

普通、仮にコミュニケーションで相手に情報を伝達する割合が、言葉で9割、ジェスチャーや表情で1割、というものだとすれば、そのおじさんとのコミュニケーションは、それとは真逆です。言葉が1割で、それ以外の何かが9割です。その大部分を占める「何か」がいったい何なのか。さっぱり分かりません。

私は大学で数学や物理、心理学や人間工学などを学び、就職してからずっとIT畑で来ました。気が付いたら、長らく論理的に話をする人たちだけと毎日会話をしている、という特殊な環境だったのかもしれません。それが悪かったのでしょうか。もしかしたら自分のコミュニケーション形式は、とっても狭い、とっても特殊な環境でしか成り立たないようなものなのかもしれません。

そんなアイデンティティの崩壊みたいな感覚です。頭痛は物理的に本当に痛いと感じる頭痛でした。

私はそのおじさんと話をするのが嫌になってしまいました。姉を翻訳係みたいにして案内をしてもらいました。

今考えれば私という人間の器が、本当に小さかったのです。

文化の違いを理解するって難しい

それでも普通では絶対に行けないような場所へどんどん案内してくれました。ほんとうに贅沢な旅でした。

玉置神社には神主さんが神事を行っている時間帯に合わせて案内してもらえました。地元の参拝者も集まっていました。その神社で人と会ったの初めてです。というか人が集まるような神社なんだと初めて知りました。

那智大社では滝の上に入り、そのずっと奥にある秘密の滝まで案内してくれました。地元でも詳しい人や修験者たちが通るような道を歩かせてもらいました。

最後は淀川温泉にみんなで泊まりました。夕飯の時、私はそのおじさんの目の前の席に座りました。最後にお礼を言おうと思いました。

おじさんは言いました。

「あなたは、とても論理的に考える人だね。だから私の話が分からなかったし、私のことを嫌いだと思っていたでしょう。ごめんなさいね。」

驚きました。最後に交わした言葉は、すべて内容が分かりました。私はおじさんのことが全く理解できませんでしたが、おじさんは私のことを良く見抜いていました。

もしかしたら本当に猿田彦命だったのかもしれません。もしかしたら2000年前の言葉で話をされていて、それを私が汲み取れなかったのかもしれません。

というのは考えすぎですが、山に入ると「山の言葉」を使う人たちがいるらしいです。日本語が標準語に統一される前は、きっと地方ごとに色々な言葉があったのでしょう。

漢字を中国から輸入するまで、日本語には文字が無かったとされています。まだ文字が無かったころの日本語を、一部の人は今でも受け継いでいるのかもしれません。きっと、単に言葉が違うというのではなく、思考の順序やプロセス、ひいては物の見方やとらえ方が全く異なる体系も、私たちのご先祖様は持っていたのかもしれません。

あのおじさんと上手くコミュニケーションをとるためには、言葉以外に、いったい何を使えばよかったのでしょうか。私の中で退化してしまった感覚が色々とあるようです。

自然と人間の関係

山の中では、人間よりも自然の方が強く「圧力」を感じると書きました。この感覚は動物たちとの距離感からも感じます。

山では夕方から周囲がどんどん暗くなります。そして日が落ちてしまえば、本当に自分の手さえ見えないほど真っ暗になります。

「もしも、今いきなり熊の声が耳元で聞こえてしまったら・・・もう死ぬしかない。」

あたりが真っ暗になると、心細くて、不安で、そんな怖い想像を思わずしてしまうのです。

熊が近づいて来ないようにするには、音を立てると良いらしいです。車のウィンドウを少し開け、カーステレオの曲が森の中まで聞こえるようにするのが気休めです。イノシシが来たらどうしようとか、心配すればキリがありません。

カーステレオをラジオにすると人の声が聞こえてきて安心します。その声を聴きながら、淡々と天体望遠鏡を組み立てて作業で怖さを紛らわします。

また、望遠鏡を組み立て終わると、いつもやることがあります。

懐中電灯で周囲をさーと照らしてみるのです。

すると、森の中でピカリと光る2つの点が見つかります。森のあちこちを懐中電灯でグルグル照らしていくと、そういう2つの点が所々にピカピカと見つかります。

鹿やタヌキたちの目が光っているのです。

少し時間をおいてから、また懐中電灯で照らすと、やっぱり同じ場所がピカリと光ります。彼らは動かずに、こちらの様子をジーと見つめているのです。

ちょっと怖いけど、ちょっとおもしろいです。

今の日本で満天の星空を望むなら、このように動物たちに見張られながら観測するしかありません。そして山では人間よりも森の木々や動物たちの方が強いのです。

彼らの世界にお邪魔させてもらう。

そんな感覚になります。
自分という小さな存在と、自然という大きな存在のコントラストがとても強くて、常に何かの存在を感じずにはいられません。

自然の「圧力」というか「威圧感」とというか、そういうものを感じます。きっと、この圧力を感じる人と感じない人との間でも、すでに文化の違いが生じているのかもしれません。

私が初めて熊野本宮大社を訪れた時には、確かに神の存在を感じました。
その後、結婚して息子が小学生になってから、息子を連れてもう一度行ったことがあります。その時は世界遺産センターなどが建てられ、多くの人で賑わっていました。子供を連れていくにはちょうど良かったのですが、もう神の存在を感じませんでした。

既に「人間の方が強い」土地に変わってしまったと思いました。

哲学科の大学生から聞いた文化とか価値観とかの話し

植田一本松校のアルバイト講師に、大学で哲学を専攻しているN先生がいます。家庭教師もやっていて、将来は教育関係に就職したいそうです。

そんなN先生と、何日か前にたくさんお話しする機会がありました。最初は生徒指導について、認知心理学みたいな話をしていたのですが、どういうわけか途中から話が脱線して、異文化とのコミュニケーションとか、人は神をどう認識するかとか、そういう話になりました。

ちょうどN先生が研究テーマにしていたようです。宗教の違いで衝突してしまう話し。過去形を持たず3以上の数を認識できない部族の話し。色々面白い文化や価値観を話してくれました。それで私も上で書いたような体験談をお話したら、色々と教えてくれました。

もしも

「どうしても自分が理解できないような文化」

の人たちに遭遇した時、どう対応するかという話です。

お互いに努力するという「過程」の話ではなく、色々あって「だめだ、絶対に理解し合えない」という「結論」に至ってしまった後の話です。次にどうするかという話です。

私の解釈が合っているか不安ですが、要するに大きくこんなパタンになるでしょう。

  1. ねじ伏せて屈服させる
  2. 関わらないように距離を置く
  3. 互いの独立性を認め合う

これの小さい版が、個人と個人の意見の衝突かもしれません。
ちょうどN先生が就職活動をする学年に上がるというので、就職に絡めて話を発展させました。

私は、同じ仕事、同じ勤務時間、同じ残業量だったとしても、人間関係の違いでストレスの強弱が全く変わってしまうという体験談も話しました。

どんな仕事でも10年も続ければ、結局のところ「仕事=改善活動」などと要約できてしまいます。

もちろん職種によって必要な知識やスキルは違います。しかしそれは最初の頃だけです。仕事が板について自然にスキルを発揮できるようになれば、もうそれはルーチン作業でしかありません。傍からみてクリエイティブな仕事に見えても、本人からしたら飽き飽きした作業の繰り返しです。

そうなると「改善」とか「問題解決」などにチャレンジでもしない限り、また新しい知識やスキルに感動したり喜んだりできません。だからチャレンジするのです。
逆にチャレンジせず、ひたすらルーチン作業と割り切って無感動に過ごせばよいかと言えば、それも許されません。必ず誰かがルーチン作業を自動化する日が来るからです。ルーチン作業は消えゆく運命にあります。

ということで、長く仕事を続ければ、みんな改善や問題解決をするようになっていきます。

つまり、どんな仕事をやっても行きつく先は同じだということです。

さらに、その改善や問題解決さえも板についてしまえば、その先の将来で飽きてしまうかもしれません。

そうなったらどうしますか?

結局、人間関係が自分に合うかどうか、という「文化の問題」が居心地の良さを決めることになるのです。

「仕事の種類」よりも「職場の文化」の方が、長い目で見たら大切!

だと思います。言い換えると、

職場の人たちと自分の価値観に合うか?

をよく見極める必要があります。

N先生は「教育の仕事をしたい」ということで、私に指導マニュアルがどのように作られるか、組織として人材の育成をどう仕組み化するかのインタビューしてきました。もちろん回答しましたが、それだけでは不安なので、上のような話を付け加えたわけです。

つまり、長く仕事をしたいなら、職場の文化が自分に合うのかどうかを、よく確かめるべきだと話しました。

すると流石は哲学科のN先生。さらに深い考察を返してきました。

そもそも実際には就職して見なければ文化が自分に合うかどうか分かりません。それどころか自分の価値観が何なのかも経験を重ねなければ言葉になりません。

だから実際には、新し環境に身を置いてて何年かたった時に

「あれ、自分の文化と合わないな。」

と悟ってしまった時に

「さて、どうするか?」

となるわけです。

そこで上の1~3の話に戻るのですが、N先生は哲学の知識を踏まえたうえで、2ではなく3だろうと、私に教えてくれました。

やっぱり哲学科の人は話が面白いです。日常ではかなか気が付かないこと、でも確かに重要なこと。そんな事を目ざとく取り上げて考えているからでしょう。

贈る言葉「広い視野を持ちつつ、己の価値観を自覚しよう!」

キミたち卒業生は新しい世界に旅立ちます。そこで何となく自分に合う人、合わない人、合う環境や合わない環境というものに出くわしていくだろうと思います。

たいていは周囲に合わせて柔軟に上手にやり過ごしていくかもしれませんが、時には周囲と摩擦が生じることもあるでしょう。

衝突しても、それを避けたとしても、どちらも大切な経験となります。

ただ、どんな時でも必ず

「自分の価値観を言葉で表す」

という努力をして欲しいと思います。

「自分が守りたいものは何か?」

それを言葉に表してみてください。もちろん難しいので努力が必要です。

塾長が守りたいものは「自由」です。自分の自由も他人の自由も守りたいと思っています。
逆に、人の自由を奪おうとするヤツが許せません。

そして、学ぶことで人は自由になれると信じています。だから塾で勉強を教えています。

もちろん、価値観には大きい物から小さいものまで色々あります。
いろいろ大小の価値観をどんどん言葉に表してみて、時に修正したりして、自分がどんな文化を持った存在なのかを見極める努力をして欲しいと思います。

誰とでも仲良くなれる、というのは残念ながらウソです。

しかし、互いの独立性を尊重し合える程度には、お互いを理解し合うことができます。
そのためには、互いに自分の価値観を言葉で相手に伝えられるように準備しておいた方が良いのです。

きっとキミたちなら、たくさん経験して自分なりの価値観を上手に自覚していけるだろうと思います。
自分の価値観を言葉にできるようなステキな人に成長できると思いますし、そう願っております。

卒業おめでとう。

あとがき

世間ではソロキャンプが流行しているそうですが、昔から天体観測屋さんにとってソロキャンプは慣れたものです。
もっとも世間ではそれを単に「野宿」と呼ぶのかもしれませんが。

追記

このブログをアップした翌日の新聞を見てびっくりしました。愛知県公立高校入試の問題が掲載されていました。
第1問の読解問題。富士山の登山についての随筆です。世界遺産に登録されて多くの人が登るようになるにつれ、山が特別な場所ではなくなっていくことを指摘していました。
もっとも、悠久の自然の営みの中では、このような人だかりさえも、一瞬の流行り廃りにすぎないのかもしれません。

 


進学実績

卒塾生(進路が確定するまで在籍していた生徒)が入学した学校の一覧です。
ちなみに合格実績だけであれば更に多岐・多数にわたりますが、当塾の理念に反するので生徒が入学しなかった学校名は公開しておりません。

国公立大学

名古屋大学、千葉大学、滋賀大学、愛知県立大学、鹿児島大学

私立大学

中央大学、南山大学、名城大学、中京大学、中部大学、愛知淑徳大学、椙山女学園大学、愛知大学、愛知学院大学、愛知東邦大学、同朋大学、帝京大学、藤田保健衛生大学、日本福祉大学

公立高校

菊里高校、名東高校、昭和高校、松陰高校、天白高校、名古屋西高校、熱田高校、緑高校、日進西高校、豊明高校、東郷高校、山田高校、鳴海高校、三好高校、惟信高校、日進高校、守山高校、愛知総合工科高校、愛知商業高校、名古屋商業高校、若宮商業高校、名古屋市工芸高校、桜台高校、名南工業高校

私立高校

中京大中京高校、愛工大名電高校、星城高校、東邦高校、桜花学園高校、東海学園高校、名経高蔵高校、栄徳高校、名古屋女子高校、中部第一高校、名古屋大谷高校、至学館高校、聖カピタニオ高校、享栄高校、菊華高校、黎明高校、愛知みずほ高校、豊田大谷高校、杜若高校、大同高校、愛産大工業高校、愛知工業高校、名古屋工業高校、黎明高校、岡崎城西高校、大垣日大高校

(番外編)学年1位または成績優秀者を輩出した高校

天白高校、日進西高校、愛工大名電高校、名古屋大谷高校

※ 成績優秀者・・・成績が学年トップクラスで、なおかつ卒業生代表などに選ばれた生徒

 


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個別指導ヒーローズ 植田一本松校
〒468-0009
名古屋市天白区元植田1-202 金光ビル2F
TEL:052-893-9759
教室の様子(360度カメラ) http://urx.blue/HCgL

勉強する理由とは? 塾に遊びに来た卒業生の想い出から

大学芋

塾長です。

納税にコロナ対応の臨時休校の作業、オンライン授業の手配などの作業がひと段落して、21時ごろに力が抜けた。

さて、思い出の1つでも綴ろう。

もう1年近く前になってしまった。ちょうどこのくらいの時間だった。その日の仕事がちょうど終わる時刻。

「塾が終わる時間、ちゃんと分かってますよ!」

そんな感じの絶妙なタイミング。
大学生になった卒業生が、ふらっと遊びに来てくれたのだ。
天白高校から滋賀大学へ進学した努力家である。

この世代の生徒たちは、よく遊びに来てくれる。
同学年の女子大生たちも成人式の帰りにわざわざ寄ってくれた。

「おお!よく来たね。あれ、いま何年生になったっけ?」

「もう来年は就職活動ですよ。」

そう言いながら、まるで何の違和感もなくスリッパに履き替えて、すっとイスを引いて面談机に座り込んだ。

「え、もうそんなん? 早いねー。」

「まだぜんぜん大学生を満喫した気がしないっす。」

「え、そうなの?」

「大学の講義がもう、興味が持てなくて。」

「講義なんかに期待しちゃいかんよ。サークルとか、セミナーとかは楽しくないの? あるいは充実してます、とか。」

「特に何も。友達に誘われて応援にはいきますけど、自分では。」

私はそんな彼に「勿体ない。」と返した。大学生なんだから、もっと好き勝手にやれば良いと、そんな話をした。

「塾長は大学生のとき、何してましたか?」

「僕はもう『好きな勉強しかしたくない!』って決めて行動してたかな。浪人して大学に行った反動もあったと思う。」

「大学の成績は気にしなかったんですか?」

「成績なんて全く気にしなかったよ。だって大学に合格したとき、『これでやっと偏差値とか成績とかから解放される。ついでにマラソン大会もない!』って本当に思ったから。何か制度のために我慢して勉強するのは、もう受験でコリゴリだったよ。だから成績とか評価とか、本当にどうでもよかった。重要なのは留年しないことと、興味のない講義をいかに回避するかってことだった。留年しそうでヤバかった時期もあったけど。」

そんな話をしながら、最近の大学生はマジメすぎるんじゃないかと心配もした。
あるいは、大学が余計な細かい制度を発展させて、つまらないスコアで学生の創造性を縛り付けてやしないかと危惧もした。

「それで、好きな勉強って、何をしたんですか?」

「物理学科志望だったから、物理関係のセミナーを3つかけ持ちしてたよ。有志で集まって専門書を輪読するみたいな活動。古典力学と解析力学と、それから量子力学。途中で辛くなって2つになったけど。そんだけ物理やってたのに、なぜが数学科に進んじゃったんだけどね。それからプログラミングも独学したよ。これは趣味だったけど、何学科に行っても何かシミュレーションしたいと思ってたから。」

信じられないという顔をした。

「サークルで充実したとかじゃないんですか?」

「もちろんサークルも楽しかった。3月末に下宿を始めたんだけど、4月の入学式まで1週間くらい暇だった。下宿にいても何もないし1人じゃ寂しかったから、4月になる前にサークル室に遊びに行って、それで先に入部しちゃった。凄く歓迎されて、先輩に夕飯とかおごってもらったよ。」

あー、いいなー。そういう経験したかったなー。
という表情で聞いていた。

別に思い出を自慢したくて語ったわけではない。単なる事実だ。
どちらかと言えば、貧乏学生だったし、むしろ不便の方が多かったと思う。
先輩が飯をおごってくれる習慣はマジでありがたかった。

逆に聴いてみた。

「そろそろ興味のあることも出てきたんじゃない?」

「まぁ、面白そうな勉強も少しはあります。研究室も決めなきゃだし。」

良い傾向だ。

大学は研究するところ。
もちろん、大学に行く目的はそれだけではないし、人によって色々だとは思う。
しかし、大学生である恩恵を最大限に受けるためには「研究する」という姿勢が必要なのだ。

サークル活動なんて、ぶっちゃけ社会人になってからでも似たようなことはできる。
しかし勉強に没頭したり研究したりすることは、大学生の時しかできない。
真面目に講義に出て点数を稼ぐなんて、そんな高校生みたいな生活をしてたのでは、大学生である意味がない。

興味のある研究分野が出てきたのであれば、その分野の教授にアポを取って、話を聞きに行ってみたらよい。
教授が無るなら、その研究室にいる博士課程とか修士課程の先輩方に話を聞いてきたらよい。
それで気に入ったら、研究室配属の後で後悔することもないし、配属が有利になるかもしれないし、一石二鳥だ。

そういうことを話した。

「塾長はプログラミングを独学で学んだんですよね。」

「うん、そうだよ。規模の大きな開発とか品質管理とか、そういう生産技術を学んだのは社会人になってからだけど。でも基礎は自分で勉強したよ。プログラミング言語の文法とかオブジェクト指向とか、そういう基本は本を買って読めば誰でも勉強できるからね。大学は本屋さんが充実してるから、いくらでも手に入るでしょう。たとえ社会人になってからも、そういう基礎部分は独学でやるもんだよ。今はインターネットがあるから便利だね。」

「本を買って読めば、できるようになるんですか?」

「1冊目はアホみたいに優しい本がいいと思う。それから、何でもいいからプログラミングして作った方が早いよ。ショボいプログラムでも何でもいいから、とにかく作りながら学んだ方が身に着くのが速いから。僕は学費や生活費を自分で稼ぐ必要があったから、プログラミングのアルバイトをしたよ。小さな会社から派遣されて大きな会社の職場を手伝ったりね。慣れてきたら持ち帰って自宅でプログラミングして、みたいな。1つソフトを完成させたら10万円とか20万円とか、そういう仕事もあったから。」

「まじっすか。でもほんと、今ってプログラミングとか情報解析とかできると、すごく就職いいじゃないですか。うちの大学のデータサイエンス学部、すごい人気らしいです。後輩たちにお勧めです。自分が興味ある研究分野もコンピューターで統計処理するみたいだし、関係あると思うんですよ。何を勉強したらいいですかね。」

お、だいぶ乗ってきたようだ。

「うん、その統計学で良いと思う。プログラミング言語は、行きたい研究室で何を使っているか聞いてみて、それで決めればいいと思うよ。1つの言語をちゃんと勉強すれば、あとは何語でもだいたい一緒だから。もしも研究室で特に何もなくて、それで独学というのなら、パイソンというプログラム言語がいいと思う。無料で環境を作れるし、文法も分かりやすい。それに高機能。統計処理や人工知能、数学や科学技術計算に使う関数や、グラフを描いたりレポートをつくったりする機能が豊富だから。」

「そういうことが分かっていて、なんで塾をやってるんですか?」

「僕らの時代はIT系の仕事と言えば、ブラックだったんだよ。だいたい4年くらい働くと1回廃人になる。それで転職して・・・みたいな感じ。もっと人間らしい仕事というか、人と触れ合う仕事がしたいってね。それで。」

「激しいっすね。」

「今は大丈夫だと思う。法律がかなり厳しいから。まぁ、楽な仕事とか安定した仕事なんてないからね。没頭できれば幸せなんじゃない? プログラミングとか開発は今でも好きだよ。実際プログラミング教室は自分で作っちゃったし。もしもこの先、学習塾が人工知能に置き換わって仕事が無くなったら、またプログラミングで飯でも食おうかな、とかね。まさかね。」

「うわっ、そういうの俺も言ってみたい。なんか、いざとなったらこれがある的なスキル、俺も欲しいっす。」

「でもね、ゲームとか業務アプリとかは、いくら作れるようになっても、ぶっちゃけそんなに儲からない。安い人件費で優秀な人材が世界に五万といる分野だから、もう消耗戦。レッドオーシャン。それに技術の流行り廃りが激しいから、学生のうちに勉強しても無駄になると思う。結局のところ、大学レベルの知識を応用するようなプログラミングができないと、年収は高くはならないよ。」

「あー、うん、あ、はい。もっと早く話していれば・・・でも分かりました。おれ勉強します。ほんと勉強しよ。」

とまぁ、そんな会話をした記憶が何故か思い出された。
コロナ騒ぎで就職活動はどうなってしまうのだろうか。

 

緊急事態宣言を受けて教室を閉鎖して2日目。
早くも生徒たちのいない教室に哀愁が漂う。

この場に子供たちの姿が早く戻ってきて欲しいと願う。

 


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