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間違いだらけの勉強法 国語は自分のセンスで読んではダメ!?

泣きながら本を読む

塾長です。松下です、こんにちは!

突然ですが皆さん、国語の読解問題は、どうやって解いていますか?

英語や数学と同じで「公式どおり」に解くのが基本ですよね。

え、何言ってるか分からない?

そう思う人は国語の解き方や勉強方法が間違っているかもしれません。

模範解答があるからには公式があるはず!

「とにかく問題集をたくさん解けば正答率が上がる。」
「たくさん読書をすれば成績が上がる。」

そんなふうに漠然と考えて国語の読解を勉強している人が多いかもしれません。だって私もそうでした。高校受験の時は何となく「じっくり読む」という気合で対応していました。ところが大学受験で予備校に通うようになったとき、現代文の講義を聴いて驚きました。

「え、国語って解き方が決まってるの!?」

予備校の授業でようやく気づかされたのです。
そして同時に、学校生活のある一場面が頭に浮かびました。それは定期テスト返却の時でした。友人は先生から現代文の答案用紙を受け取って席に着くと、不満そうにこう言いました。

「この現代文の問題は、俺の感性と合わない。だから現代文の勉強はしても意味がないんだ。」

それを耳にした先生が言いました。

「ほほう・・・。それでは君の感性で読んだら、どう読めるのか聞かせて欲しい。」

生徒は、自分の感性でしか解釈できない答案を主張しました。
先生は、文章中から誰でも同じ答案をつくれる理由を説明しました。

しばらく先生とその生徒のやり取りを、教室の生徒たちが見守っていました。

感性やセンスで読ませる問題は絶対にテストに出ない!

先生はその生徒の主張を否定はしませんでした。ただ、こう言いました。

「私はエスパーじゃないからね、採点する時に君の気持まではくみ取れないよ。今こうして話している時もね。言葉で理解する範囲でしか、情報のやり取りはできないでしょう。」

同じ文章でも、読んで何をどう思うかは人それぞれです。ですから「感想」や「意見」や「仮説」を答えさせるような問題は、答えが1つにならないので模範解答が作れません。ということは、採点ができなければ成績もつけられないのですから、テストになりません。読み手の感性によって答えが変わるような問題は、そもそも存在しないのです。

その先生はベテランの先生で、しかも担任で、生徒たちの性格をよく知っていました。今思えば、あの問答自体も現代文の授業でした。

・・・そうです、ちゃんと学校でも国語の公式について何度も説明を受けてきたのです。しかし私はそれを納得だけして聞き流してきました。数学や物理と同じように、定理や公式のように、道具のように扱おうとは考えてこなかったのです。

国語の公式=考え方のパターン

それでは、国語の公式とは何でしょう?

それは「考え方のパターン」なんです。人間は自由にものごとを考えている様に思われがちですが、実は、いくつかの考え方のパターンを組み合わせて考えを進めています。考えが進むということは、同じテーマに対して、いつも同じ説明が出てくるということです。この考え方のパターンのことを「論理」と言います。「思考回路」なんて言い方がありますが、けっこう的を得た言い方ですね。

逆に、考え方がパターンとして固定されておらず、同じテーマなのに考えるたびに違う説明が出てきてしまう状態のことを「支離滅裂」と言います。考えがまとまらないのは、考え方のパターンが不足しているからです。

つまり国語の教科書とは「考え方のパターン集」なんです。

そして、それらを支える論理の「部品」みたいなものが、語彙、指示語、接続語、段落などといったものです。
小学生までは、これら部品の使い方を個々に学びます。
中学生になると、段落構成やディベート、二元論、平行する2つの話しから共通点を見いだすこと、くらいまでのパターンを学びます。
高校生になると、弁証法やハッキリした結論のない難解な文章、あるいは心理学や文化論などといった学問分野ごとのテーマを扱い、論理の世界を広げます。

国語の勉強を進めると、それだけ多くの論理を身に着けられます。頭の中で支離滅裂な状態がどんどん小さくなり、論理的な状態が大きくなります。もちろん文章を支離滅裂に読んだり、ものごとの支離滅裂な側面を見たりして楽しむのは個人の自由です。実際、昼ドラは登場人物の感情や行動を支離滅裂に設定した方が、ミステリーやサスペンスを生み、視聴率が上がります(教育には悪そうですが)。

しかし、テストや入試では、採点できる範囲、つまり論理の範囲でしか出題されません。説明すれば当たり前のことですが、いざ国語の問題を解こうとする時になると、多くの人がこのことを意識し忘れてしまいます。

「国語ができれば他の科目も成績アップする」は間違い

すこし話が脱線するかもしれませんが、これもよくある勘違いです。

「国語をできるようにすれば、他の科目も成績が上がりやすくなる。」

それは言い過ぎです。「国語」という教科はそこまで万能ではないし、勉強はそんなに甘くはありません。たとえば、次の文章の解釈の仕方をどこで身に着けるかを考えてください。少なくとも国語では習いません。

「学校の校庭の面積は全部で800平方メートルです。そのうち裏庭は200平方メートルです。裏庭は全体の何倍ですか?」

これは「〇は△の□倍」を「〇÷△=□」と考えるので、200÷800=0.25倍とします。

算数には算数の、理科には理科の、社会には社会の語彙や解釈の作法があります。それらをそれぞれに正しく身に着けているからこそ、色々な文章の読解が正しくできるということです。

つまり原因と結果が逆なんです。「国語をできるようにすれば、他の科目も成績が上がりやすくなる。」は順序が逆なんです。正しくは「色々な科目を勉強すると、国語の読解力がさらにアップする。」でしょう。

このように、国語の読解訓練は、あくまでも科目によらない部分、あくまでも基礎の範囲までです。ただし奥が深い基礎です。逆に高度な読解問題を出そうとすればするほど、他の科目の知識が必要になる宿命があります。

難関大学の入試レベルになると、大手予備校の現代文の先生でも模範解答を間違って作ってしまうことがあります。誤植というよりは完全に勘違いです。特に、物理学など理系の専門分野を題材にした論説文の過去問について、見つけることがあります。高校物理の基礎用語くらいを知っておかないと正しく読解できません。難関大学で問われる「常識」はレベルが高いのです。国語の力だけで読解するには、やはり限界があります。

そして大学には「国語」という科目の単位はありません。国語は奥が深いけれど基礎なので、高校で終わりです。

日本人のおよそ3分の1は日本語が読めないらしい

国語だけの話しに戻ります。

日本人は小学校、中学校、高校の12年間の全てを通じて「国語」を習っています。いえ、学生だけではなく、就職や転職の際に受験するSPIでも、国語のテストがあります。それにも関わらず、こんな記事がありました。

言ってはいけない!「日本人の3分の1は日本語が読めない」(MSNオンラインの「橘 玲/週刊文春 2019年2月14日号」記事より)

さらにこの記事によれば、こんな状態の日本でさえ他の国よりは良いのだそうです。どこの国でも国語の「公式」を教育するのに苦労しているようです。国語の教育は課題が山積みのようです。

もちろん教室に来れば国語の公式とその使い方を教えます。かつて私が予備校で感動した時のように、ぜひ生徒たちにも分かって欲しいと思ってますから。

 


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