長文問題が苦手です。
考えて書く問題が苦手です。
困っている学生が多い一方で、もっとも鍛えるのが難しい。
それが読解力と記述力です。
愛知県の公立高校入試では、国語の50文字要約をはじめ、理科、社会の記述問題があります。
また理科や社会は問題文そのものが長文で、読解力が無いと問題文の意味すらつかめません。
国公立大学を目指す生徒は、2次試験の記述力が必須です。
名古屋大学の理学部は、理系なのに2次試験で国語があります。
ヒーローズ植田一本松には、難関受験を目指す生徒のために添削指導があります。
半年~1年の指導で、最後までついてきた生徒は第一志望に合格します。
Contents
読解力や記述力を鍛える難しさ
最近、ホリエモンこと堀江氏がはじめたチャンネルが話題です。
「ドラゴン堀江」 Abema TV
なんでも芸能人を堀江氏が指導して半年で東大に合格させるそうです。
そんなふうに指導に自信を見せる堀江氏でさえ、
「文章とか書けた方が良い。国語を教えるのがすごく難しくて、国語って全てに通じるんです」
(原文まま)と言っています(※)。
※出展: News Walker 記事 2018/11/8
「堀江貴文が半年間で東大合格に導く!「1カ月で受かるから! 誰だと思ってるんだよ」」
なぜ読解力や記述力の指導が難しいのか?
読解力や記述力は、自分の手と頭を使って「訓練」しないと鍛えられません。
よい教材で、正しい取り組み方で、訓練することが必要です。
そういう意味では数学や理科と同じです。
しかし現状は次の通りです。
- 訓練教材があまり整理されていない
- 問題の取り組み方が間違っている
数学や理科に比べ、この2つの違いがあります。
それだけに、よい訓練そのものに出会えていない生徒の数が多いです。
訓練教材が少ない理由
数学や理科は、公式と解法が明確に整理されていて、良い問題集がそろっています。
そして時代が変わっても公式や定理は変わりません。
時代とともに教材の質が良くなり続けています。
一方、国語や英語の長文読解などは、公式や解法の整理がしにくい分野です。
そして時代が変われば、能力に対する価値観や表現技法も変わります。
時代とともに出題の流行り廃りがあり、継続的な改善はできません。
例えば最近は「問題解決力」を試せる読解問題や記述問題が流行り始めています。
そういうわけで、実際、数学や理科に比べて良書が少ないです。
漢文の読解に至っては、片手で数えるほどしかありません。
個人的には、漢文という古典科目そのものが不要になってきたとさえ感じます。
取り組み方が間違っている
そして、もしも良書や良問に取り組んでいたとしても、やり方が間違っている場合があります。
皆さんは国語の読解問題を繰り返しやりますか?
数学や理科では、できるようになるまで繰り返しますよね。
それが訓練ですから。
ところが国語になると、不思議な誤解が発生します。
「1回やった読解問題は、解いてもしょうがない。だって、もう話しの内容を覚えちゃったから。」
よくある思い込みです。
もちろん間違っています。
読解問題だとしても、繰り返した方が良いです。
学ぶべきなのは「話しの内容」ではなく「読解の仕方」なのですから、
内容を覚えているか否かは関係がありません。
つまり、文章内容が分かっていても、問題が解けるかどうかは別なのです。
これは直ぐに証明できます。
もしも「内容を知っていたら読解できる」なら、学校の定期テストは全員が高得点を取れるはずです。
定期テストでは、授業中にさんざん読み合わせてきた文章で出題されているのですからね。
しかし現実には、生徒の点数はバラバラで、ちゃんと実力の差が出ます。
内容を知っている文章でも、読解問題が解けるとは限らないのです。
むしろ文章の構造よりも内容にばかり目が行ってしまう人の方が、読解問題で伸び悩むものなのです。
ちなみに、良問ならなおのこと、しっかりした構成の文章で出題されているはずです。
精読すれば文章のあり方を深く学べるでしょう。
常識とは正反対の勉強法が正解
繰り返しになりますが、
国語に限らず、英語や古文、漢文の長文読解は訓練することが重要です。
いくら説明の上手な講師の話を聴いたところで、実力は伸びません。
しかし、
「説明の上手な先生の話をいっぱい聞いたから成績が伸びた」
という話の方が、多くの人にとっては受け入れやすく、常識的です。
講師にとっても、そう言ってもらえた方が嬉しいです。
ここが世間の常識と事実とのギャップで、悩ましいところです。
時間配分で見れば、解りやすい授業の価値なんて、全体の1%程度なんです。
それよりも、聴いたらすぐに実践しなければいけません。
「理解できた」は0点と同じ
読解問題や記述問題で実力差がハッキリ出る理由は、次の事実があるからです。
「理解した」だけなら0点
「解けた」から点数が発生
勉強時間の中で「理解した」段階は、ほんの入り口で全体の1%にすぎません。
残念ながら「わかる」と「できる」は別物なのです。
解りやすい説明を聞けば「わかった」になりますが、
いくら「わかった!」と感動しても、本番では点数になりません。
つまり伸びないのは、ゴール設定が「理解する」になっているからです。
「わかったらできるはず」という「常識」の方が間違っています。
独りの力で「解けた」
何も見ずに「書けた」
が正しいゴール設定です。
「わかった」が最初の1%にすぎないことを知っていれば、
すぐに残り99%の訓練に移り「できる」まで繰り返すでしょう。
正しい指導法も常識とは正反対
よって必然的に
生徒が取り組んでいる時間 >> 講師が生徒に教えている時間
という指導形態に導くのが正しい指導ということになります。
私たちの教室では、全生徒に対して、この価値観の設定をコーチングしています。
内輪ネタで恐縮ですが「スパイラル学習法」という指導体系になっています。
当塾では、講師の仕事の1つが「生徒に良いヒントを与えること」です。
もちろん生徒によってヒントの出し方は千差万別。
生徒たちが取り組んでいるその横で、講師たちは良いヒントを考えるのに必死です。
塾業界にとってプチ不都合な真実
さて、上で見てきた事実は学習塾にとって都合が悪いかもしれません。
1:1の個別指導で、1コマ〇〇円
などと時間単価を決め打ちして授業料を説明している場合、
生徒が取り組んでいる時間 = 講師が生徒に教えている時間
という印象でなければ、保護者に授業の価値が伝わりにくいからです。
まぁ、ここは塾側の説明努力なんだと思います。
ちゃんと本当の指導とは何かを説明するしかないでしょう。
一方で、保護者様ご自身が厳しい受験を経験してきた場合だと、
生徒が取り組んでいる時間が9割
講師が生徒に教えている時間が1割
という黄金比をご存知です。
医者の子がなぜ医者になれるのか
弁護士の子がなぜ優秀なのか
その秘密が、このあたりにありそうですね。
添削指導が効率的
読解力や記述力を鍛えるには、実践を繰り返すべきことが分かりました。
解放のテクニックや公式が有るようで無いようで、という分野だからです。
実戦形式で指導する方法は大きく2つあります。
- コーチのように横から助言を与える
- 添削で紙の上で指導する
どちらでも良いと思います。
ただし長文解釈や小論文記述などの問題は、解くのにも、準備にも、両方時間がかかります。
ですから小さい塾ならば添削指導の方がやりやすいでしょう。
「何かしら書く」ことから始めさせる
読解や記述の問題は、
「時間をかければ何かしら書くことはできる」
という特徴があります。
ここが指導の突破口になります。
自信が無くても、何かを書いて解答欄を埋めさせることはできます。
そして、間違えたとしても学ぶことができます。
間違えた記述を見直すことで、間違えの過程が分かり、気づきが多いのです。
教える側から見ても、生徒の頭の中身が見えるので、アドバイスがしやすく、指導に無駄が無くなります。
読解や記述だからこそ添削が合っている
これが数学や理科ならどうでしょか。
数学や理科の記述問題は、解らなければ何もかけず、解答用紙が真っ白になります。
つまり、数学や理科で添削課題を出せるのは、一定レベル以上の生徒になるでしょう。
逆に言えば、読解や記述の指導だからこそ、数学や理科よりも添削指導しやすいと言えます。
さらに添削指導ならば、採点している間に生徒が待たされることもありません。
逆に、解いている時間に講師を待たせる必要がありません。
時間の使い方も無駄が無くなります。
そんなわけで、読解や記述を鍛えるには、添削指導がおすすめです。