塾長です。
人生を左右する一言ってありますよね?
友達や学校の先生から言われた何気ない一言。
それが励みになることがあります。
その後の人生を変えるきっかけになることさえも。
成績を上げるきっかけ
特に今回は、成績を上げたりスキルを上げたりした塾長の「きっかけ」を思い出してみます。
塾長が中学生だったとき、高校受験生で経験したこと。
塾長が高校生だったとき、浪人生だったとき。
生徒たちと同じ年頃だった時の経験。
もちろん時代も世の中も今とは違っていますから、解釈は様々でかまいません。
私の経験した中から、順に書いてみます。
何か感じ取ってもらえたら幸いです。
授業中に覚えろ。
これは高校受験生になった時、兄から言われた言葉です。
「授業中のことは授業中に覚えろ。」
受験生になれば、中1と中2の復習をしなければなりません。
しかし復習ばかりしていたら、目の前の中3の勉強がおろそかになります。
そこで兄から言われた対策が
- 中3の今の勉強 → 学校の授業中に頭に詰め込む
- 中2までの復習 → 家庭学習でやる
というものでした。
「中3の勉強は、とにかく学校の授業中に頭に詰め込め。」
という指令でした。
「できないと思うな。できると思ってやれば、できるようになる。」
という熱血そのままのアドバイスですが、とても役に立ちました。
そもそも学校の授業中に本気で勉強している生徒は少ないです。
授業に「真面目に参加」している生徒は多いでしょうが、「真剣に暗記」している生徒は少ないです。
ちゃんとノートを取っていても「あとで復習しよう!」という気持ちなのが普通です。
簡単だけど真似されにくい
このように、もしも授業中に暗記まで真剣にやったとしたら、その時点で他の生徒と差をつけたことになります。
しかも真似されません。
多くの人は「そんなのできっこない。」と思うからです。
できるようになる前に、たった3日くらいで簡単に諦めてしまうからです。
ずっと後で知ったことですが、人間は耳で聴いたことを頭に入れる方が、文字で頭に入れるより楽なようです。
人類の進化の過程で、会話は早くから獲得した能力ですが、文字列の読み書きは最近獲得したばかりだからです。
勉強が苦手ならば、なおさら先生の話を授業中にその場で暗記した方が良いです。
さらに、授業に集中できるようになったおかげで理解力もアップしました。
またさらに、英語、数学、理科は、中1や中2の復習した知識と結びついて、定着度も上がりました。
私は高校受験で、かなり偏差値を上げる必要があったため、効果がありました。
あなたは授業中に、脳みその何%を使っていますか?
線を引くのは甘え。読むからには覚えろ。
これは大学受験のときに、弟の友達のI君から教わりました。
「参考書に線を引いたら勉強の邪魔。」
Iくんは後に京都大学医学部へ進学する程の秀才で、年下ながら凄いヤツでした。
私はそれまで、参考書の大切な所に線を引くクセがありました。
しかし、線を引いて紙面を汚してしまうと、次に参考書を読むときに邪魔になります。
それが勉強に良くないというのです。
大切なポイントがギュッと濃縮されているのが参考書なのですから、すべて大切に決まっています。
そもそも線を引く必要なんてありません(引いたら全部になるので無意味)。
しかも線を引いた瞬間に、
「あとで覚えればいいや」
という甘えが生まれてしまい、その場で覚えようとしません。
線を引く = 問題の先送り
ということです。
線を引くたびに、無意識のうちに脳みそが「おサボりモード」になります。
その無意識が、本来の記憶力を殺してしまいます。
知識は一期一会。
その場で覚えなければ、次に見直すチャンスがいつ来るか分わかりません。
その間に、実力がどんどん落ちて行ってしまいます。
実力を付けたければ、
「読んだからには、見たからには、必ず覚える!」
です。
そのように実戦的に構えていなければ、そもそも記憶力なんてアップしません。
体を鍛えれば脳も発達する。
これは兄と親戚のおばさんから言われたことで、高校生になってから知りました。
- 体を動かさないと、頭も働かないぞ
- 何でもモリモリ食べて活力を切らすな
塾長は運動音痴だったので、中2後半からは、どちらかというと運動よりも勉強を優先させました。
それなりに一生懸命に勉強しましたが、公立高校には届かず、第二志望の私立高校へ進学しました。
もしかしたら、中2~中3の運動不足が、勉強の伸び悩みに影響していたのかもしれません。
一方、高校時代は、自転車で毎日12Kmの通学路を走りました。
中学まではサイクリングですら片道10Kmを越えたことが無かったです。
しかし高校生になったら、いきなり毎日12Kmでした。
それなりに体力がつきました。
ご飯をたくさん食べるようになりました。
天体観測に精を出し過ぎて浪人してしまいましたが、
浪人しても相変わらず、予備校まで片道8Kmを自転車で通いました。
勉強には「集中力を持続させるだけの体力」が必要です。
浪人した時に毎日13時間の勉強ができたのは、その体力があったからだと思います。
同じ13時間でも、体力の有無で集中時間が違ってきます。
また、体が大きく発達するときは、脳も大きく発達するのだそうです。
これは数年前に薬学部の講師さんから教えてもらいました。
薬学部でそのような講義があったのだそうです。
頭だけ鍛えるのではなく、体もよく動かして、たくさんモリモリ食べる方が良いです。
【国語】たとえ読解問題でも、同じ問題を繰り返しなさい。
これは中学2年生の時に、職員室へ行って、国語のT先生に質問して教えてもらいました。
「国語の勉強の仕方を教えてください。」
「ワークは何回やりましたか?」
「テスト前に、ひととおり解きました。」
「3回くらい繰り返した方が良いですよ。」
これに対して、私は素朴にも、よくある質問をしました。
「でも、1回やったら答えを覚えてしまいます。」
「いえ。なぜそう答えなければならないのかを考えながら何度も取り組んでください。毎回、新しい発見があるでしょう。」
なるほど、と思ったので、言われた通りにやりました。
それ以来、国語のテストはクラスで上位に入ることが多くなりました。
「先生に言われた通りにやったら、読めるようになりました。」
「あら、そう。偉いわね。私はみんなに同じアドバイスをしているのだけれど。」
言われた通りに本当にやってくれる生徒は少ないのだそうです。
あいかわらず漢字は苦手でしたが、読解力は向上しました。
【国語】ゆっくり読みなさい。
中学生の時に、S先生という人に国語の家庭教師に来ていただいたことがありました。
S先生は父親が経営していた本屋さんのお得意様でした。
中学校の先生を定年退職されたばかりで、時間はたっぷりあるからと来ていただけました。
その時に、
「ちょっと教科書を音読してみてください。」
と言われたので、声を出して読み始めました。
ところが、10秒もしない内に止められました。
読むスピードが速すぎると言われました。
「今から私が読みますから、それと同じスピードで読むようにしてください。」
そういって、先生は少しゆっくり、話すくらいのスピードで読んでみせました。
1行読み終わったら、間を置くようにして、それから次の行を読むのです。
自分が思っていたスピードの3分の1くらいのスピードでした。
意外でした。
正しい読み方
国語の先生は、一瞬で文章を理解してしまうだろうから、きっとスピーディに読めるに違いない。
そんな先入観が私にはあったのだと思います。
しかし逆でした。
それから1行1行を理解しながら読む、という当たり前の指導をしていただきました。
言葉1つ1つの意味を確認しながら読み取る、という指導をされました。
先生の読み方には、自分が思っていたような焦りは一切ありません。
分からない言葉は辞書を引き、じっくりとその意味を確認するのです。
言葉の意味を確認するために、腰を据えて、ちゃんと時間を使います。
時間の流れ方がどんどんゆっくりになっていくような、そんな緻密な読み方でした。
「文章を読むとは、こういうことなんだな。」
初めて文章を読んだ気がしました。
それだけで読解力が上がりはじめました。
国語の勉強時間を確保していますか?
文は1字1句をていねいに読むものです。
わからない言葉の意味は、慎重に、ゆっくり調べましょう。
ということは、それなりの勉強時間が必要です。
多くの人が、国語の勉強を漢字書き取りだと勘違いしています。
漢字や熟語の文字だけを見ていても、書き取りを繰り返しても、何も実力は伸びません。
漢字を含む言葉の意味を文章の中で調べて、初めて言葉を学んだことになります。
国語という教科は、テストや模試の直前に焦って勉強しても無意味なのです。
まず、国語の勉強時間をしっかり確保すること。
多くの子供たちは、そもそも国語の勉強時間を用意していません。
死ぬほどゆっくり熟読する予備校の講義
ゆっくり緻密に読む、という読み方は、大学受験で浪人した時に、ふたたび訓練することになりました。
地元のとある予備校で、O先生の現代文を受講したときです。
O先生のテキストはめっちゃ薄いのです。
ペラペラです。
表紙の厚紙の方が、本編の全ページ分よりも厚いくらいです。
それで半年分。
たったこれだけ。
という感じのテキスト。
中を開くと、ハードな読解問題が、たったの5問ほど載っていました。
しかも半年で講義が進んだのは結局3問くらいでした。
めっちゃくちゃ進みがゆっくりで、
もう、これでもか!
というくらいに緻密に読み進めていく講義でした。
例えば、文章中に出てきた
「抽象的」
という言葉の意味について解説するだけで講義が終わった日もありました。
「抽」と「象」と「的」の、それぞれの意味を「図解」したうえで、「抽象」がどんな意味で「抽象的」がどんな意味なのかを深く解説したのです。
もちろん私がそれまで思ってきた「抽象的=なんとなく」という程度の意味の捉え方などとは、まったく別物で、驚きましたよ。
そういう発見ばかりの講義でした。
文章中の言葉1つ1つは、自分が思っていた意味よりも100倍も200倍も深い意味があるんだ!
そういうことを思い知らされたワケです。
- 読んだつもりで読めてない
- サラッと読み流しているから理解できてない
そういうことが痛いほどに分かる講義でした。
自分の常識を新しい常識で上書きしていくような講義でした。
回答するときに本文を読み返す時点で負け
このようなきっかけを得て、自分で問題に取り組むときも
「遅く精密に読む」
というスタイルを心掛けて練習しました。
本文だけではなく、設問を読むときもそうしました。
しばらくすると、文章を読んだ後に、文章の構造や細かい意味の関係が頭の中にくっきり残るようになりました。
おかげでマーク式の問題や選択問題であれば、回答時に本文を読み返すことが無くなりました。
ちゃんと読めば本文の内容は、かなり細かいところまで頭に入ります。
設問を解くのに、いちいち本文を読み返す必要はありません。
もちろん訓練は相当しました。
英語や数学と同じうように国語にもちゃんと勉強時間を確保しました。
本文の読み返し(2度読み)がほとんど不要。
これは、センター試験のような問題数が多くて時間がタイトな試験には有効でした。
よく、
- 最初に本文を一通り読む(速く読む)
- 設問を読む
- 本文を読み返して答えを探す(速く読む)
などとやる人がいますが、これでは間に合うはずがありません。
それをするくらいなら、
- 最初に設問を読んで質問されることを把握する
- 本文をじっくり読みながら回答する
とした方が速いです。
【英語】語順どおりに読まないから英語ができない。
浪人して予備校に通うようになって、最初にショックを受けたのが英語の講義でした。
自分の勉強方法が、いかに無駄で間違っていたかを思い知らされたからです。
かんばん講師であった予備校のK先生の授業でした。
簡単な英文でも読めない!?
The police dog a thief until they catch him.
この例文は、その予備校のテキストの「最初の1問目」でした。
いきなり最初の1問目から和訳ができません。
頭がクラっときました。
この文が読み取れなかった時点で、自分の英語がめちゃくちゃだと知りました。
× 自分の読み方: 単語の意味をつなげて和訳する
〇 講師の読み方: 文の構造で訳が自動的に決まる
ネイティブの人が英文を理解するときは、単語が登場してくる順番に理解していきます。
これはあたりまえです。
日本人なら日本語を日本語の語順のまま理解するのですから。
この事実を無視して、英文を無理やり日本語の順番で見ようとしている限り、英語が読めるようになるはずがありません。
英語は主語が最初で、次に動詞!
SV~という5文型の語順は、高1で習います。
今や中3の教科書にも載っています。
こんな当たり前の知識ですら「ただ知っているだけ」で、「ちゃんと活かして読む」ことをしていませんでした。
さて、上の例文で「ちゃんと5文型の知識を活かして」読んだらどうなるでしょう。
まず主節だけ、つまり接続詞 until の前までを取り出せば、
The police dog a thief
となります。
とりあえず、この文の和訳に集中すればよさそうです。
(もっとも、接続詞すら真剣に注意していなければ、まずこの段階の分析から怪しかったかもしれません。)
とにかく、この文を
主語 (S) | 動詞 (V) | その他
という3つに分けるとすれば、その方法は1つしかありません。
The police | dog | a thief
こうなります。
もうお判りでしょう。
なるほど、dog が動詞だったというワケです。
dog (動詞)
追い掛け回す
つきまとう
もちろん、こんな特別な意味まで単語帳で覚える必要なんてありません。
主語の次は動詞、ということを徹底すれば dog の意味は前後から想像できます。
つまり、
英語の語順通りに意味を拾っていけば、必然的に品詞と意味が想像できる
というワケです。
このことを分からせる趣旨の講義でした。
ということで、この例文はとても示唆に富んでいました。
つまり、全ての英文に対いて、
英語は英語の語順のままに理解する
という心がけを「徹底して」読む必要があったのです。
これを徹底せず、ただ単語の意味を何となく繋げているだけだから英語が読めないのです。
ちなみに、この例文は簡単な問題としての出題だったとういことです。
なぜなら、主語、動詞、その他、に分割する方法が1通りしかないからです。
だからテキストの1問目だったんです。
それでも、当時の私には全く歯が立ちませんでした。
これがつまり、
英語ができない!
という状態です。
英語が苦手というのは、そういうことなんです。
英単語が出てきた順番に理解できるように徹底する
という姿勢を守れるように、5文型を強制ギブスのように使って勉強すべきです。
それを無視して独自の読み方をしている限り、英単語や文法をいくら覚えても、まったく役に立ちません。
英単語
英文法
英語長文
などをいくら学んでも、それらを活かさなければ実力になりません。
それぞれを別教科であるかのようにバラバラに取り組んでいる状態で、とても非効率です。
5文型の徹底
これは、ほんのちょっとの心がけかもしれません。
しかし、この心がけが1つあるか無いかで、英語の学習効率が全く変わってきます。
英語の苦手を克服できる参考書
ちなみに、私が予備校で受講したK先生の講義と同等の参考書があります。
「英文解釈教室」伊藤和夫著 研究社 です。
有名ですよね。
この参考書は高2ハイレベル~高3夏期のレベルです。
これが難しいという方は、基礎編があります。
こちらは高1~高2のレベルです。
上に比べると網羅性は下がりますが、取り組みやすいです。ただし相応の国語の読解力が必要です。
これでも難しいという人は、動画や塾などで、さらに分かりやすい説明を受けた方が良いでしょう。
【数学】自分の頭で考え抜かなければ問題を解く意味がない。
高校生までに、問題集を反復してやる習慣が身についていました。
しかし、それにも限界がありました。
何のための反復学習?
数研出版のチャートシリーズと言えば、今でこそ色々ありますが、当時は「赤チャート」と「青チャート」しかありませんでした。
私は兄の勧めで赤チャートをやっていました(現在の赤チャートは、現役生にはおススメしません)。
赤チャートは非常に難しかったのですが、浪人して時間があったので2周くらいできました。
(微積と確率は赤チャートがなかったので駿台の問題集をやりました)
しかし、模試の結果は思わしくありませんでした。
一方、同じ高校から一緒に浪人していた友人は、数学がとても得意でした。
そこで、その友人に聞いてみたのです。
「模試になると解けない。どうやって勉強したらよいかな。」
「松下くんは普段から、ちゃんと自分の頭を使って、自分で解法を考え抜いて、知恵を振り絞って解いているかい?」
「うーん、5分くらい考えて思いつかなかったら、解法やヒントをちょっとだけ見ちゃうかな。」
「それは諦めが速すぎるよ。少しは粘って、もっと考え抜かないと。」
「え、そうなの!?」
「そりゃそうだよ。何言ってるの!?」
長い間とても勘違いをしていました。
そもそも「考える」という意味が違っていたのです。
そこで、Z会の通信添削の問題を引っ張り出してきました。
現役時代にやってはみたものの、手も足も出ず、押し入れの奥にため込んでいたものです。
「考える」とは!?
今はどうか知りませんが、当時のZ会の通信添削は、とても難問ばかりでいた。
1問解くのに3日も4日も考え抜くことがある、なんていうウワサ話を聞いたことがありましたが、自分には雲の上の世界だと思っていました。
しかし違ったのです。
自分は諦めるのが速かったのです。
出し損ねた添削問題に、今度こそちゃんと向き合おうと思いました。
そして気づきました。
自分に足りなかったのは、
学んだことを即座に頭の中から引っ張り出してくる訓練
アウトプットの訓練
であったと。
最初の何十問かは、とても苦しみました。
1問解くのに30分も1時間もかかりました。
問題数が進まないので、とても焦りますが、そこは気持ちとの戦いでした。
ところが50問ほど解き進めていくと、だんだん解法を思いつくスピードが上がってきたのです。
赤チャート2周の知識を、やっと引き出せるようになってきたのです。
- 今まで覚えてきた公式や解法を、高速に思いだしてトライ&エラーをする。
- あるいは、それらを組み合わせてみる。
- 似ているパターンを思い出してみる。
- とにかく図を描きだしてみる。
- とにかく全ての場合を分けてみる。
できる限りの全てを尽くして考え抜く。
今まで学んできた知識を組み合わせれば必ず解けるはずだ!
そういう姿勢で、とにかく手と頭を動かしまくる。
そのように勉強するようになってから、次第に解けない問題が無くなってきました。
時間さえかければ、どんな問題だって解ける!
そういう状態になれば、あとは制限時間との戦いだけです。
私は2浪にして、やっと、そうなることができました。
ちなみに数学が得意だったというその友人は、東北大学に合格しました。
【社会】情報を増やした方が頭に入る。
私は中学生のころから暗記が苦手でした。
そういえば小学校の時は漢字が苦手でした。
小3の時は、漢字のテストがいつもクラス最下位だったので、担任のT先生が壁に貼ってある「今週の漢字」というプリントを僕だけに毎週プレゼントしてくれたほどでした。
暗記の苦手を思い知らされたのが社会のテストでした。
漢字にしろ社会にしろ、とにかく暗記が苦手でした。
効率化という落とし穴
社会のテスト勉強では、とにかく暗記の負担を減らそうと、できるだけ覚えることの量や数を減らそうとしました。
「よく出る!」
「これだけは覚えろ!}
みたいな薄っぺらい参考書に飛びついて、それだけを覚えようとしました。
とにかく暗記の対策は「最小限の努力で」とか「効率的に」とかいう発想でした。
結局、高校3年間もずっと社会は苦手のままでした。
大学受験では、現役の時に日本史を選択していました。
有名な「一問一答」の1冊だけに絞って反復して学習しましたが、全く頭に入ってきませんでした。
浪人してからは、日本史はダメだと諦めて倫理・政治経済に変更しました。
浪人してから知ったことですが、国公立大学の理系コースでは、社会の負担を減らすために、倫理・政治経済を選択する人が多かったからです。
受験では常識ですが、当時の私は、そういう科目選択の常識も、浪人してから知りました。
成りきって学ぶ!?
予備校の同じコースで国立大学医学部志望のMくんがいました。
Mくんは意外にも、倫理・政治経済の分厚い参考書を持ち歩いていました。
社会で楽するために倫理・政治経済を選択したはずです。
それなのに、どうして、わざわざそんなに分厚い参考書を持っているのか?
理解できませんでした。
それだけではありません。
自習の時にMくんと一緒に勉強していると、何だかブツブツうるさいのです。
「ソクラテスは言った。よりよく生きる道を探し続けることが、最高の人生を生きることだ!」
「うるさいよ!」
どうやらソクラテスについて学ぶときは、ソクラテスに成りきっているようでした。
そんなMくんは、周囲からはちょっと変態呼ばわりされていました。
でも、面白いヤツだと思いました。
Mくんは社会の偏差値が予備校で1位だったので、
その変態ぶりが、きっと勉強のコツなのだろうと思いました。
そこで私もMくんと同じ分厚い参考書を購入しました(残念ながら今は絶版です。同等の参考書も無いようです。)。
さすがにMくんのように何者かに成りきれるほど変態には成りきれませんでしたが、
知識1つ1つにイメージを膨らませ、興味を持って調べるようにし、むしろ情報量を増やして勉強してみました。
すると、それから間もなく、センター・マーク模試で70点を超えるようになりました。
名古屋大学理学部が志望だったので、社会は70点で十分です。
日本史をやっていた時に比べたら、あっという間に目標点をクリアしました。
効率を上げようと知識を絞り込んでいたのが逆効果だったのです。
暗記が苦手なのは、情報量を絞り込んでいたからです。
むしろ情報量を増やした方が楽に覚えられます。
漢字も同じ
ちなみに漢字も浪人時代に少しだけ克服できました。
いつも自習席で
「寝たら死ぬ」
などといった自己暗示みたいな標語を、紙に書いて机に張っているヤツがいました。
Hくんです。
筆ペンを使って習字のような字体でビシッと書いてありました。
ときどき、その標語が状況によって変化しました。
私が読めない難しい漢字がよく使われていました。
例えば、
「←五月蝿い!」
などと変化するのでした。
「Hくん、これ、何て読むの?」
「ああ、これはMくんのことだよ。」
「なるほど、読めたよ。うるさい、だね。」
「正解!」
こんな風に、漢字が得意なHくんから教わることが何度かありました。
そうした小さなことがきっかけで、国語の辞書をまめに引いて漢字を調べるようにしていました。
Mくんの一人コントは面白かったです。
Hくんの標語はためになりました。
二人とも国立大学の医学部に合格しました。
今頃はどこかで立派なお医者さんになっていることでしょう。
数学は自然を厳密に記述できる「言語」だ!
これは大学に入ってからC言語のプログラミングを独学するようになってから知りました。
数学とは何か。
もっと早く知っていれば、勉強の効率がもっと上がっていたことでしょう。
プログラミング言語も数学も英語も楽譜もすべて同じ!?
大学のサークルには、プログラミングがめっちゃできる先輩が何人もいました。
特に1つ上のK先輩は、もっとも会うチャンスが多かったです。
それで色々な質問をしている中で、K先輩から教えてもらいました。
「C言語とかFortranとかPascalとか、プログラミング言語は色々あるけど、どれも言語論やブール代数といった基礎論がもとになっているんだよ。何かの世界を漏れなく正確に表現するためには、何種類の文字が必要で、どんな単語やどんな文法を用意したらよいかっていう理論があるんだよ。プログラミング言語も、日本語も英語も数学も、音楽の楽譜だって、みんな言語。そういう本質を勉強すると、みんな一緒に見えてくるから面白いよ。興味があったら勉強してごらん。」
そんなスゲー知の世界があるんだと、ビックリしたのを覚えています。
数学も日本語や英語と同じ言語です。
そればかりか、楽譜も言語らしいです。
そういえば、プログラムも楽譜も、どちらも共通して「コードを書く」なんて言います。
コンピューターの命令も、音を表す音符も、どちらも「コード」と呼ばれます。
最も精密に科学を表現できる言語
自然界の物理や化学の法則は、とても精密で再現性があり、おそらく宇宙のどこに行っても同じです。
磁石に釘がくっつくという現象は、ミクロな原子核と電子の間でも同じように働くし、マクロでは銀河の磁場で電子が加速される所でも同じです。
地球の重力で月が公転するように、太陽の重力で地球が公転し、木星の重力でガリレオ衛星が公転し、銀河の重力で太陽系全体が公転します。
このような厳密で再現性の高い現象は、人間の気持ちや行動とは全く関係なく起こります。
ですから自然科学を表現する方法も、同じように人間の気持ちや行動、文化などに左右されることなく記述できる方法でなければ、意味がありません。
人間の文明とともに発達してきた日本語や英語だからそこ、むしろ自然界を正確に表現できないのです。
ですから、科学者は数学で自然界の法則を表現することにしました。
時に科学者が数学を発明し、時に数学者が科学を発展させてきました。
では、
「数学=言語」だと気づいたことが、なぜ勉強の効率を上げるのか?
それについては、次の「F=ma は真理ではなく定義」で書きます。
大学のサークル室は、こんな会話が日常茶飯事。
毎日こんな話を無料で聞き放題の素晴らしい空間でした。
私は1日の半分以上をサークル室で過ごしていました。
#今の大学生はコロナ禍で大学に入り浸ることができません。本当に気の毒です。
【理科】F=ma は真理ではなく定義。
高校物理の教科書で、初期に学ぶことになる力学の公式
F=ma
これについて、ちゃんと説明できるか否かが先生の腕の見せどころ。
少なくとも、
「これが真理だ。だから覚えろ!」
みたいな説明をしてしまったら大失敗。
生徒はドン引きです、悪い意味で。
F=maのように数式で書かれた科学の公式。
他にも色々なものがありますよね。
しかし残念ですが、それらが自然界の真理かどうかは誰にもわかりません。
そもそも公式とは何でしょう?
そもそも数式は日本語や英語と同じ「言語」でしたね。
つまり「公式」とは、科学者が自然を観察して気が付いた法則性を記録した「説明文」なのです。
公式 = 説明文
自然界に何かの真理があったとしても、それのどこまでを人間が理解できているか。
これは永遠の謎です。
だから科学の探求は尽きることがありません。
科学者はそんな未知なる自然界の謎解きに挑戦します。
その末に理解できた範囲の法則性を表現したのが公式なのです。
人間が勝手に作ったもの
つまり公式は実験や観察をした科学者の創作物と言えます。
作家が創作した文学作品みたいなものと言えます。
私たちが小説を読んで、その内容を通じて作家の世界観を味わうように、
科学の公式を理解して、それを生み出した科学者の努力や業績を理解できます。
文学と科学が異なるのは「普遍的」あるいは「客観的」か否かです。
科学では「いつ誰がどこで実験しても同じ結果になる」というのが公式の価値です。
文学では読み手の状態によって解釈が変わってしまうことが、むしろ価値になります。
難しさの意識の正体
ところが、多くの学生は公式を真理だと勘違いしてしまうようです。
さらに悪いことに、公式から自然の真理を感じ取れることが理系の才能なのだとか、そんな勝手な妄想をしてしまうのです。
× 数式=自然界の真理
× 数式を見て真理が理解できる=理系の才能
× 数式を見ても何も感じない = 理解できない(理系の才能がない)
それでは、公式の正しい理解のしかたとは、どのようなことなのでしょうか?
これは冒頭の F=ma に戻って説明しましょう。
F=ma
F: 力 [N]
m: 質量 [Kg]
a: 加速度 [m/s²]
これはニュートンさんが、リンゴが落っこちるのを観察したり、色々な重さの物体を押したり引いたりして、精密に実験を行なった結果のレポートです(リンゴの逸話が本当かどうかは不明ですが)。
観察の結果、ニュートンさんが出した結論は次の通りでした。
- 重さを2倍、3倍にすると、同じ速さで動かすのには、力が2倍、3倍と必要になる。
- 速さを2倍、3倍のペースでスピードアップ(加速)させるには、力が2倍、3倍と必要になる。
- おそらく俺(ニュートン)が人類で初めて、この性質を発見したっぽい。
つまり、
- 力(F)は質量(m)に比例する → F=比例定数×m と表せる
- 力(F)は加速度(a)に比例する → F=比例定数×a と表せる
- 人類で初めて数式に表すのだから、俺の好きに公式を決めて良い
などと考えたニュートンさんは、できるだけシンプルな数式で後世に残すことを決心しました。
シンプルな公式にした方が、きっと多くの人に受け入れられて有名になれでしょう。
ニュートンの宣言が公式になるまで
そこで、上の1の式の比例定数をaとし、2の式の比例定数をmとすることを考えました。
こうすれば、公式が1つで済みます。
それがもっともシンプルな「表現」です。
そこで、
F=ma
と書くことを「宣言」したのでした。
その後、多くの科学者が力の性質を詳細に調べましたが、質量と加速度の他に力の性質を左右する項目が見つかりませんでした。
かくして、この宣言は歴史とともに権威を増し、正式な定義として受け入れられていきました。
・・・ってことです。
所詮は比例と反比例の組合わせ
そして、上のような解釈ができるようになるコツは、次のたった2つしかありません。
- Aの量がBの量に比例する → かけ算の式で表す
- Aの量がBの量に反比例する → わり算の式で表す
たったこれだけです。
加えて中学3年生では「2乗に比例する」という関係も習います。
ですから、高校の物理や化学、地学や生物の公式は、中学生の数学で全て読むことができます。
だったら、最初から教科書にそのように書いてくれれば分かりやすいのですが、そう書いてはくれません。
きっと紙面の都合というヤツでしょう。
このように、
- 数式は言語であり、科学者が気づいた自然の規則性を表すものだ!
- たいていの公式の読み方は、比例と反比例だけで済む!
ということが分かってしまえば、何も怖くはありません。
凡人でも公式を読むことができるし、センスも不要です。
人類が自然を観察して規則性を見出し、それを「比例」や「反比例」で記録したレポートだと捉えれば、恐れることはありません。
人が「分からない」「理解できない」と思うこと。
その正体はたいてい「全体像がつかめない」という混乱にすぎません。
しかし難しいと思っていた科学の公式が、たいてい「比例」や「反比例」の説明にすぎないと思えば、公式の意味の全体像がつかめます。
「理解できない」という混乱はなくなることでしょう。
全体像さえつかめてしまえば、勉強の効率が上がるというものです。
# もちろん比例と反比例だけでは理解できない領域もあります。
# 三角関数がその1例ですが、主に大学の範囲です。
仕送りしてもらう内は、好きなことができない。
大学時代、私の周りには「貧乏学生」とか「苦学生」が多かったです。
昭和時代から続く木造2階建てのぼろアパートに住み、アルバイトで学費や生活費を自分で稼ぎます。
歩けばミシミシと音を立てて崩れそうな部屋には、食費を切り詰めて買い込んだ古本が何十冊も並び、寝床を圧迫します。
そういうセピア色で描かれるような、昔風の学生が多かったです。
そんな名古屋大学の学生を
本山原人(もとやまげんじん)
流行から取り残された原始人のような格好で本山付近に生息する生物
などと揶揄して呼ぶ言い方があったくらいです。
そんな彼ら彼女らから言われました。
自分のやりたいことをやるなら、自分の生活くらい自分で何とかするもんだ。
つまり、
- 大学に通うのは、ぜいたくな趣味
- 自分で稼いで通うのは当然
というわけです。
そんなことを当たり前のように言う人が多かったです。
親友のY君もその1人でした。
Y君は新聞配達で学費を稼いでいました。
それで大学でほとんど姿を見なかったし、クラスの親睦会にも来ませんでした。
ですからセミナーで一緒になるまで、実は同じクラスだったことすら知りませんでした。
新聞奨学生
今でもあるんですかね?
そうとうブラックだったので、もう無いとは思いますが。
新聞配達と学業の両立が不可能だと悟り、途中で他のアルバイトに変えたそうです。
それでセミナーには参加できるようになって、一緒に勉強することができました。
Y君の苦労話を聞くたびに、自分は幼いと感じました。
大学の英語の講義で、自由英作文の課題が出されました。
講師はアメリカ人かオーストラリア人か忘れましたが、とにかく外国人でした。
私はその課題で、
大学院に行きたいけれど、お金が無いから難しい
みたいな英文を書いて提出しました。
課題が返却されて見ると、講師のコメントが短くこう書いてありました。
Why?
You can earn by yourself!
海外では自分でお金を稼いで大学へ行くことが当たり前なのだそうです(当時は)。
私はろくに行動も努力もせず、ただ諦めようとしていたことに気付きました。
講師のコメントを見て、自分が恥ずかしくなってきました。
そのような経験を大学で何度かしました。
それで親に電話をして、
「もう、仕送りをしなくて良いから。」
と断りました。
塾長は兄弟が多かったから、実家が大変な思いをしているのを知っていました。
それでいながら、仕送りをしてもらっている自分が、いよいよ恥ずかしくなったのです。
もちろん、アルバイトを見つけて、奨学金を申請して、授業料の免除申請もして、色々準備をしました。
実際に自活ができたのは大学2年生の後期からです。
自活したおかげで、大学院に行くのも就職するのも、何をするのも、親に相談する必要が無くなりました。
というより、後ろめたいような気持ちが無くなりました。
自分の進路や趣味を、すべて自分の意思でできるようになりました。
もっとも大変だったのは何だと思います?
アルバイトや仕事が大変だとか、両立がどうとかではありません。
仕事を探すこと。
これがもっとも大変でした。
独学してきたプログラミングが役に立ちました。
プログラミングは仕事を家に持ち帰れるので、時間の自由が利きます。
アルバイト先の会社からパソコン一式を貸し与えられ、下宿でデーターベースシステムの開発やWindowsアプリの開発などをしました。
完成したものを納品すれば、10万とか20万とか、まとまった収入を得られました。
必要だから学ぶ。
お金のために学んだことを使う。
これも自分の能力を飛躍的に伸ばす手段です。
学生として学べることを、当たり前だと思わないでください。
学べるうちに、少しでも学んでおくべきです。
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